新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

自分のことはタナにあげます!

あまり良くないなと思う仕事のカタチに「リライト」ってやつがあります。誰かが書いた文章を手直しして、印刷物にするのに耐えられる状態にすることです(私の中ではね)。
意味のあるリライトもあるんですけど、最初っから書き直してもらうことを前提にした文章が嫌なんですよ〜。文章を書きなれていない人が、更に気を抜いて書くと同じ表現の繰り返し現象がおきます。これを直せ!と言われても会ったこともない人の根底にある思いなんて私にはわからないわけで、しょうがないからその人がどんな感じの人かなんてことはすっとばして、とりあえず世間的にかっこいい!と思えそうな雰囲気に創作してしまいます。すっごい良心が咎めるんですよこういうのって。本人のイメージと違ってたら嫌じゃないですか〜。でもそもそも書きなれていない人なので、それでも皆さん満足されているようで。その本人も本人ですが、そういうやり方でオッケーにしている担当者が嫌ですねえ。楽なんですよ間に入る担当さんとしては。本人同士会わせる必要もないし、取材のセッティングも打ち合わせもいらないから。本人に原稿依頼して、できたものを私のところへ持ってきて、仕上がったものをそのまま刷る。モノを左右に動かしているだけなんですよお。
まあ別に署名原稿ではないし、手法としてはありなんでしょうけどねえ。思いいれたっぷりに書かれたモノを直せと言われるのも相当嫌な作業なんですけどね。でもどーでもいい感じのものを直せというのもねえ。すいません。贅沢なぼやきですけど。
書けないなら最初っから「取材」にするのが一番いいと思います。その当人にライターが話を聞く。そうすればその人の言葉遣いや気を配っているポイント、拘りの部分なんかも拾い上げられますから、そういう部分を効果的に構成してあげられるんですけど。でもあくまでこれ「当人の署名原稿にしない」もしくは「第三者による構成」であることを明らかにすることが前提で、ゴーストとはまた別の話なんですけどね。
書けない人は無理に書けるふりする必要ないし。有名無名問わず。結果的に良いものにしようと思ったらそうするべきだと思うのよ。下手な演技は上書きで直して人目に晒すなんてできないのに、文章はできちゃうのが嫌ですねえ。まあ、素人さんは演技したりしないか。そんな必要性も機会もないかな。それだけ文章は素人さんにも身近な表現方法で、ぼやーっと生きててもそんな機会は1度や2度はあるっつーことですかね。
文字が書けるのと文章が書けるのは別。
今日やってた仕事が、いわゆる企業のお偉いさんが自社の経営方針について箇条書きで書いたものを、あたかも取材して書いたみたいに格好よく書け!という注文だったので、ちょっとこんなことを考えました。でも最初から2000字しかないものを4000字にするのは、神様でないとできません。