新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

あぶらあげ

映画南極料理人を観ると、もれなくラーメンorエビフライが食べたくなるように、CREAのエッセイ「月記」を読むと、油揚げが食べたくなりませんか?

考えてみると我が家も油揚げは常備です。冷凍も利くし、お味噌汁に入れると、多少出汁がいい加減でもたちどころに風味がまして美味しくなるし。そうか…家庭的なんだ…これは。そして…きっとナマケ癖のある主婦向きなんだ。

そんなエッセイですが、naviに連載されていた「文」とは結構対照的な話になっている気がして、私はこちらの方が好み…っていうか…つまり。


「わかりやすい!」


と思いまして、好感度グググとアップ。「文」はとにかく観念的な話が多かったような気がします。発端はあの本を読んだだの、誰にこういわれただの、どこへ行っただの…まあ似たようなものだけれども、その先に続く話がすごく観念的。ときに昔話を交え、ときに比喩を交え…あれやらこれやら…ええい!わかりにくいんじゃっ!と、心の中で思って顔には出しませんでした(笑)。
だってそのわかりにくい話を「なるほどね〜」なんつって楽しみに読めなかったら、堺ファン失格な気分になっちゃうんだもん。あれ読んで「堺さんてインテリジェンス溢れてるわ」って思わないと、なんか自分がバカみたいで悲しくなっちゃうんだもん。ボンボン出てくる哲学的な話に「わかるわ〜」って思えないと強制終了な気分になるでしょー?え?ならない??

あれはあれでとっても良かったとは思ってるんだけども。だってなんだか「堺雅人の内面がわかった」ような気分にさせてくれるから。でもそれは気分だけの話で、わかるハズもないことで。でもわかった〜って思いたい…このビミョーなバランス。なんて罪作りなヒト(違)。

さておき、今回の「月記」はそこんところのコンセプトを大きく変えたエッセイなんだなあ〜って、ちょっと楽しく読み、また来月からが楽しみになりました。具体的な「あそこでこんなことしたよ」「ここでこんなもん食べたよ」という話を読みながら、私はまたきっと「より具体的に堺さんという人がわかったわ〜」なんて思うんでしょう(←学習効果なし)。そしてこれが1冊の単行本になるころ、堺さんはまた違うアプローチをして「ああ〜今度はこういう感じなのー?わかった気になってたけど、違うよねえ。へへ」なんて誤魔化して言うこと間違いなし(←学習効果ない上にそれまでファンでいる前提)。

何にしろ、この人の文章は読み手をほっこりさせます。それだけで価値ある文章…だと思うのは甘すぎかなー?
とりあえず、今晩は油揚げでも食べますか。ああ、でもこれだけじゃお腹いっぱいにならない。堺さんが絶賛する油揚げの一番の欠点は「主戦力にならない」ところです。