新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

孤独の賭け第7回&TVnavi

くさーいセリフとくさーい展開。どーにもならないこのドラマ。不毛すぎる堺さんの役どころに「もう書くこともないなあ」と定点観察すら放棄しようかと思う今日この頃。しかしnaviのエッセイを読んだら一言くらい書かなきゃいけない気分になっるってもんです(ドラマについては書くことないけど)。

シェーカーを真面目に振る自分の姿を、子供のころの野球の素振りになぞらえるあたり、涙なくしては読めないエッセイ。いえ、出番がなかったとか、記念に空振りして来い!という監督の配慮とか、自分も打てる気がしてない妙に冷めた子供だったとか、そんなことはある意味ありきたりで涙を誘うようなことでもないし、実はなんとなく想像が付いたりもするんですが(すみません)。「実はこれでも4番でピッチャー、チームの大黒柱だったんですよ。そういえば九州の大会で優勝したこともありました」なんて言われたらそっちの方が驚くってものですよね。

暇を見つけてシェーカー素振りをする自分。そんな地味さを野球少年時代の成果と言うあたり、なんとなくいい話っぽく読めなくもない。不毛としか思えない3年間が報われる…なんて。
しかしどうですか?不毛な努力(のようなもの)の果てに勝てない試合にそうとわかっていて出ていた冷めた子供を、しょーもないドラマに特別な役回りもなくただ「出場している」今の自分になぞらえて、しかしそれも「何かの役にたっている」と結ぶあたり、妙に冷静な現状分析にも思えなくもないじゃないの。そして自分自身の過去に照らすことであっさり印刷物にしてしまうあたり、巧妙だ…なんて言ったら意地悪すぎるかもしれないけど。
いつもどことなく自分を俯瞰で見て、どことなく突き放して、それでいて俳優としての温度を失わない堺雅人という人の強かさを見た気がしたエッセイでした。

でもそんな強かで冷静な人であっても、やっぱり血が滾るような現場というのはモチベーションがあがるはずで、その逆はモチベーションが下がるはずで…。なんとなくちょっと悲しい気持ちにならなくもないのは、縁側に座る姿が妙にしっくりきていたからかしら?素振りよりも、そうやっているほうがよほど意味のある時間だったりして。

おとなになるのもわるくない…ってのは、不毛さに耐える強さを身につけるってこと?とちょっと悪意を持った見方のひとつもしたくなるエッセイを読むと、やっぱりこの人好きだなあ…としみじみ思う。
きっと今も「鈍」であれと思っているのだろうなあ。

やさぐれぱんだが楽しみでしょうがない今日この頃です♪