新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

とりとめなく山南さん

なんとはなしにネタの浮かばない今日ですが、ああそうだ…昨日が山南さんの命日だったなあと、一日遅れで思うあたり山南さんすみません。
なんとなくなんですが、大往生ではないというのが、あんまりこの日を特別にどうこう思いたくない気持ちの一端にあるのかもしれないなあと思います。普通逆かな?どうでしょうか。
天から与えられた終わりの日ではないわけで、これは彼が選んだ日であり、人によって与えられた日ですから。その日にちにあれこれと思うのも「うーん」と。かえってその方が意味のある日なのかな?ううむ。

あとね、この季節ってのも良くないです。ちょうど季節の変わり目ってのが。旧暦で2月23日と言ったって、今の季節に合わせたら三月下旬。ってことはもっと春の匂いがしていて、もっと生命の息吹が感じられて、もしかしたら意味もなく前向きになれる季節だったんじゃないかしら?と。いくら暖冬でも今寒いもん(笑)。なんとなく山南さん最期の日にそぐわない季節なのよ…私的に。
新暦3月20日の方がしっくりくる。その頃の方が、彼について考える気もおきるのです。不思議と。
何故そんな何かが始まるような、誰でもちょっとだけ浮かれたくなるような季節に彼は終わりを選んだんでしょう(選ばされたとは思いたくない)。いや、彼もちょっとだけ浮かれたのかもしれません。冬から抜け出そうと思ってしまったのかも。季節が背中を押したのかも…。なんてロマンティックなことを思う柄でもないんだけど(私が)。

だいおうじょう ―わうじやう 3 【大往生】
(名)スル
(天命を全うして)安らかに死ぬこと。また、立派な死に方。
「―を遂げる」

三省堂提供「大辞林 第二版」より

あ、やっぱり彼は大往生だったかも。
きっと、そうだった。