新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

夜のお仕事

子どもがいるので、自然と外出しなければならない仕事は昼間に済ませ、夜は専らPCに向かうというパターンなんですが、たま〜に夜仕事に出ます。取材対象が夜しか会ってくれないとか、それでもどうしても会いたい人だったりしたら家族に無理を言ってでも出かけてしまう私。スマンのう、子どもたち。
今夜はそこまでとは言わないまでも、得意な分野の取材だったので、無理してやりくり。早めに子ども達に御飯を食べさせ、お風呂に入れ実家にお泊りで預ける。親としてこういう状態でいいのかどうか?時々ギモンが湧き上がりますが。どうなんでしょうか。自分自身母親はほぼ専業主婦だったので、夜親がいなくて預けられるなんて経験がないんですが。父親も普通のサラリーマンだったので、遅い日はあっても早い日は夕食を一緒に食べられる感じだったし。
だけど我が家は平日の夕食に父親がいるなんてことは絶対にありえないし。ま、世の中いろんな職業がありますから、大したことじゃないとは思うんですが。そこに母親も不在でもいいものか…。こういうことに関しては世間の平均値というのは無意味。その家の雰囲気というものでしか計れないから。それで大丈夫な家もあるし、ダメな家もある。結果は多分10年後とかに出てくるんだろうなあ〜。

というのは前置きで。

そんなこんなで雨降る夜の街を車で走っていると、会社帰りっぽい方々が寿司詰めになっているバスと擦れ違う。ああ〜ああいうことって昔は当たり前だったなあと、妙に感慨深く目に留まってしまった。
電車やバスの中で押しつぶされながら上司のことを「まったくむかつくぜ!」と思ったり、駅のホームで貧血で倒れながら「辛いよ〜」と涙ぐんでみたり、徹夜しながら「理不尽だ!」と腹を立ててみたり、上手く行かなくて焦りまくったり。若かったから…という言葉では括れない暴れた感情があったように思います。
なんだか自分もすっかり穏やかな日々を送るようになったのだな…と、そういう日々がまるで悪いもののように思えてしまうのは一体どういう感情なんだろう?
いつも何かに不満を持ったり、苛立ったり、置かれた状況から抜け出したくて必死だった頃というのは不思議なパワーがあったみたい。溺れかけている状態なのに、浮き輪も持たず必死に泳ごうとしているような…。今は豪華客船とは言わないまでも、小さいクルーザーぐらいには乗れているような気がして、贅沢で楽ちんでとても悪いことみたいに思えてしまった。
寿司詰めのバスを目撃しただけなのにな…。