新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

ルーツ

自分のルーツとか、あんまり考えたことなかったんですけども。今日は珍しく母方の叔父に会いまして。なんだか世間話が妙な方向に行ってしまって個人的に「ええっ?」と思う事実を聞かされました。何しろ我が家は両親共に自分のルーツとかの話をするのが大嫌いなので、両親の生い立ちとかですらろくすっぽ聞いたことはないのです。
それが母方の祖父母のルーツを聞いてびっくり仰天。
祖母の実家(らしきもの)から、数年前に江戸時代(のいつ頃かはよくわかんない)の血判状が出てきたっつーのです。当時存命中だった祖父は漢文が読み下せる人だったので、どうやらそれを読み解いたらしい。母の実家はとある西国の藩士で、剣術師範だった。思うところあって国許で反乱を起こしており、その首謀者だっつーじゃありませんか。しかもそれで結果的には国を追われ東へ流れて、とあるところまで落ち延びた(そこが実家)。で、その落ち延びた先で、とある松平家に拾われたらしく、実家の敷地内に葵の御紋のお稲荷さんが祀ってあるのだとかなんだとか。何で今頃そんな話?と思ったら、どうやら国許での事件が相当大変なことだったらしく、口にできなかったんじゃないかと。うーん、どっかで聞いたような話だな。
ついでに祖父はという話になったので「それは知ってる。浅草橋の下駄屋の息子だ!」と言ったところ「その前の話がある」という。井伊大老、つまりは大老井伊掃部頭直弼に仕えてたんだと言うんだけどもね。例の一件で当然の事ながら追われる身となり、流れ流れて維新後には浅草橋で下駄屋だって!「駕籠に乗ってたぐらいの身分だったのが、あっという間に大八車を引く側だよ」って(笑)。
いやいや、話半分としても結構笑える。いやご先祖様を笑っちゃいけないとは思うけど、細かく聞くと面白いんだ、この話が。しかしどこもかしこも嘘臭い。血判状と葵の御紋のお稲荷さんぐらいしか裏が取れないんだもん!100年ちょっとの間に大分脚色されている恐れあり。でも片方は松平に救われ、もう一方は松平に追い落とされているのね。なんか面白いな。
それにしたって母はどうかと思う。今まで何も言わなかった癖に「そうなのよねー」と普通に相槌を打っているではないか。知っていたなら教えろよ〜と言ったら「そういう話嫌いなのよ。よくわかんないし」と一蹴。しかしどの話も最後はドンドン落ちぶれていって、今の私に至るわけ。その辺で妙に納得できるんだな〜。