新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

想像力だな

このところの痛ましい事件を受けて、例外なく全国の小中学校は登下校のコース見直しや集団登下校、保護者による見回りなどを始めていることでしょう。ウチの子の通う学校ももちろん。夏ごろから地域の方や自治会、保護者などによる監視委員のようなものが組織されて、登下校時に腕章をつけた方が道端に立ってくださっていましたが、しかしやはり盲点と言うのはどこにでもあるもので、はっきり言ってそれで防げるのか?と言えばそれは不可能でしょう。犯人に対して「この地域での犯罪は難しい」と思わせることには効果があるかもしれないけれど、やはりどこまでも目が届くわけではない。
広島や栃木の事件を受けて、我が家も学校までは徒歩5分程度ですが、やはり子供が公園の向こうの角を曲がるまでは玄関から見守ってしまうし、実家の父などは途中の道で娘を待ち構えていてくれる。帰りは近所の男の子が一緒に家の前まで帰ってきてくれるけれど、心配なのはその子がそこから家に着くまでだったりもして。やはり公園の向こうの角まで行って見えなくなるまで私は玄関で見送ってしまうし、他人の子とはいえ口酸っぱく「寄り道しないで真っ直ぐ帰りなさい!」と毎日繰り返してしまう。
これからは登校時も一緒に行かせるようにと、学校からも指導があって、親同士も申し合わせてる状態。遠い子などは保護者が自主的に送り迎えしている家もあるし。新たに今日、有志で道に立つ募集もかかって、我が家も祖父母も巻き込んで動員体制。とにかく過剰と思われるほどにやっても完璧なんてない。でも起きてからじゃ遅いのでとにかくやる。
でもやはり子供に一番教えたいのは、そういう危険度を自分で嗅ぎ分けること。一生側で見ていてあげられるわけじゃないし、24時間ついていてあげるわけにもいかないのだから。やはりそれは小さい頃から培って欲しい感覚。先日の学習塾での事件も、とにかく嘆かわしい事態ではあるけれど、死にたくなかったらそういう危険な匂いを自分で嗅ぎ分けなくてはならない。どちらが正しかったか?どちらにも言い分はあるだろうけれど(それを支持できるかどうかは別ね)。でも死んでしまったらそこで終ってしまうのだから。死にたくなかったら自分の力でそれを感じ取らなくちゃならない。
思ったことを何でも言う、意見をぶつける、それは悪いことではないし、寧ろそういうことのできる子になって欲しいとはおもうけれど、その結果相手がどう反応するのか?それに自分が対応できるのか?考えずにものを言ってはいけない。今はそういう世の中になってしまっているのだから。つまらないなあとも思うし、世知辛いとも思うし、いい加減腹も立つけれど、でも何を言うにもするにも、先の先まで考えなくちゃいけない。相手を良く見なければ、痛い思いをするどころか命そのものが危ういんだから。命を危険に晒すくらいなら、とっととケツまくって逃げることも必要だし。そういう判断を的確にできないと。
とは言っても、その「ここから先は危険」「この人は危険」と思える感覚を覚えさせるのは難しい。肌で感じるものだから、過保護にしてしまっては培われないような気もするし。でもそういう先を見通す力というのは他でも必要なことになる筈。
加害者にも被害者にも「想像力が足りない」と思ってしまう今日この頃。テツとシンゴに教わりました。