新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

ライターという職業

このところテレビの感想だの、愚痴だの中身の薄いことしか書いていないので、たまには思うことでも書いてみようかね。というわけで、気晴らしに(?)仕事のことなど。
ご存知の方も多いとは思いますが、私は元編集者で現ライター。で、ライターなんて言うと大抵の方は「カッコイイ」と仰いますが、そう言われるのが嫌で嫌であまり他言しません。幼稚園の書類には該当項目があったので書いたけど、学校の書類にはなかったので書いてない。勤めているわけじゃないから。行事があれば自分でやりくりするだけのことなので、他人に知らせる必要もない。
そもそもフリーライターの何がカッコイイのでしょうね?横文字だとカッコイイなんていう発想はさすがに現代では少ないでしょう。何だって横文字になる時代だし。じゃあ、文章を書くという行為なのか?これも違うような気がする。
今ふと周囲を見回せば、いろんな文章がありますよね。雑誌や新聞はもちろん、ちょこっとしたチラシや行政のお知らせ(ごみの分別法とかさ)、企業のパンフレット、ダイレクトメールやお菓子のパッケージに至るまでありとあらゆる文章には書き手がいるんですよね。もちろんライターと名乗らない人が書く場合もあるけれど、書き手という意味ではあらゆる文章にライターがいるわけで。ライターをカッコイイという言葉で表現する人は、そういうあらゆる文章を範疇に入れているのか?甚だギモン。
最近ではWebもあるし。私の場合普段一般の方の目に触れないような企業の企画書だったり、社内報なんてものある。社内報を社外の人間が書くって言うのもおかしな話なんだけど。社内でできなければ外注されるわけで。事細かに取材して、社内の人よりも詳しくなって書かなければならなかったりして、見た目よりよっぽど難しい仕事ではないかと思ってる。とある漁師町に一年近く通い詰めて町の歴史をまとめる仕事は、地味すぎる上にギャラも激しく安かったけど、でも田舎町の人たちにそれなりの信用を得てキッチリまとめるのは、そう簡単にできることではないと思う。
そういうもの全てを含んでフリーライターなわけで、そこまでわかっていてカッコイイと言ってくれるならこれ以上の褒め言葉ないし心底嬉しいけど、そうでないようなニュアンスが窺えるのは、ちょっと辛い。もちろん社交辞令も含まれていると思うので、それはそれとして受け止めますけど。でも私が一体何をしているのか何も知らないのに、カッコイイなんて言わない方がいいです。言ってる人のモノの価値観が疑われてしまいますからね。
フリーの仕事っていうのは、名乗ったもの勝ちです。パソコンかなんかでフリーライターっていう名刺を作れば、とりあえずその瞬間からフリーライターですもん。資格とかないし。経験をいちいち発表する必要もないし。営業に行けば経験値は聞かれるけど、でも嘘を答えても相手にはわからない。そんなもんです。
で、何でこんなことを書き始めたかというと、先日見ず知らずの人にフリーライターという単語を使ったら、「かっこいい〜。雑誌とかに載っちゃったりするんですか〜。芸能人とかに会えたりしちゃうんですか〜」と言われたので。思わず「あなたには教えたくない」と言ってしまった。そしたら相手は「教えたくないんだ〜」って笑ってたけど。なんだかとっても馬鹿にされたような気持ちになったのです。曲がりなりにも私は自分の仕事には誇りを持っているから、それをおかしな物差しで計られるくらいなら、教えたくない。もちろんちゃんと仕事を見てくれた上で評価されるなら、それは甘んじて受け入れますけど。雑誌に載ったり、芸能人に会ったりすることは、そんなにすごいことなんでしょうか?それがそんなに自分の価値をあげることならば、言います。そんな話はいくらでも出てきます。だけど、それは私の仕事の何の価値基準にもならない。ライターなんだから、誰に会ったか、何の雑誌に載ったかよりも、どういう文章を書いたか?の方が重要だと思うんですけどね。
で、先述の人物。最後に一言「大変ですね〜頑張ってるんですね〜」だと。私が大変か、頑張ってるか、何も知らずにわかったような口を叩くなっつーの。お前には世の中の、本当に頑張っている人たちのことなど、一生わからないだろうよ。