新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

今日のダーリン

ほぼ日の糸井さんの話。ネット通販で買い込んだDVDが見ないまま溜まっていくという。我がことのようで罪悪感が湧いてくる。糸井さんは「時間はないわけじゃないけれど『時間つぶし』をする時間がないのかな」と書いているけれど。
昔は違ったねえ。若かったころはCD一枚手に入れるのも金銭的に大変だったから、やっと手に入れたそれは擦り切れるほど(CDなので決して擦り切れたりはしないけれど)聴いたもので。普通に聴くのに飽きたら次はギターだけに耳を傾けとか、次はベースだけ聴いてとか・・・いろいろ自分で工夫して一枚のCDを二度三度いやもっと楽しんで、骨の髄までしゃぶりつくすがごとく・・・。完コピできるほどに聴き込んで。テレビ番組もそうだったな。今みたいにドラマとか映画とかすぐにDVDで発売されたりしなかったし、それを買うお金も勿体無いからちまちまと撮ったビデオを何度も何度も擦り切れるほどに(これは本当に擦り切れる)観たりして。
もうそういう情熱はないね。買っておけばいつでも観られるさ的な発想があるんだな、きっと。単純にそうして手に入れられるモノの数が莫大なので、追いつかないというのもあるし。ああ、自分は自由になるお金を沢山もっているんだなあ〜と思ったりもするし(決してお金持ちではないですけど)。大人ってこういうことなのか〜なんてしみじみ思いました。
実際今棚の上にあるパッケージのフィルムすら破られていない数々のDVD。じゃあこれを観終わるまで次は買わないのかっつーと、買ってしまう。「これを観終わったら」なんて言ってたら買うことそのものを忘れてしまいそうだし。だったら買う意味ないじゃんなんて突っ込みは自分でもしてみるけど。
矛盾してるね〜。激しく。
だけどやっぱり大人は忙しい。自分のことだけ考えてればいいわけじゃないし。いろんなことのバランスもとらなくちゃいけないし。「組!」で象山先生が言ってたことを今突然思い出しました。自分のことを考える時代、家族のことを考える時代、故郷のことを考える時代、日本のことを考える時代みたいなこと・・・あったよね、確か。そういうことかもしれないな。自分のことだけ考えられていたときは一枚のCDを一日中部屋で聞いていることもできたけど、今はそういう年齢じゃないんだな、きっと。
そう思うことにして、でも溜まったDVDはやっぱり観よう。時間はつくるものだ。