新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

真面目な話さあ!

天声人語より。
今時の卒業式は「仰げば尊し」とか「蛍の光」とか歌わないのだそうですね。なんでも文語は今の子供たちには難解なのだとか。でもさ、私の時だって難解なものは難解だったし、わからない子にはわからなかったんだよ。で、意味がよくわからないまでも、普段歌っているのと違う言葉で歌うことで何となく「卒業式!」って感じがしたじゃん?とっても大事な節目なんだ!って思えたもんじゃん?厳かってこんな感じ?とか思ったじゃん?
で、もうちょっと大人になってからその言葉の意味とかが理解できて、「なるほどー」と思うわけ。もしくは「先生に恩なんかないぜ!」でもいい。それでいいじゃん。
そうやって当たり前のように文語も生活の中に割り込んでたわけです。
それが何の役に立つかといえば、実はさっぱりですが、でもそうやっていろんなものに触れていくことで見えないところで人間の幅が広がるんっすよ。と思わない?
例えば「無駄だなー」と思うことなら、無駄であることを身をもって確認したらいい。それを第三者が勝手に「無駄だから」って排除しちゃうから、無駄なものとそうでないものも区別できないアホが増えちゃうのよ。
人生経験捨てるところなし!と思うのはこういうところ。好きなことは自然と探求しちゃうから別にほっといてもいいんですけどね。強いられて血となり肉となるモノって意外とあるじゃん。
話がとんだ?ま、よっぽど問題のあることは別としても、卒業式の歌ぐらい文語調で歌ってみてもいいんじゃないかと。他にそんなチャンスもないし。今どきの歌は謝恩会ででも歌ってみたら?と。
やっぱりババアになるとこういうことにいちいちうるさくなっちゃうのよね。でも多分私はずっとそんなうるさいババアなの。