新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

歯折れを振り返り

昨日娘が歯を折ったのは書いたとおりなんですが、そのとき気になったことがちょっぴり。
家の前の公園だったこともあり、そこには顔見知りの程度の子もまったく知らない子も小学生がわんさかいたわけです。流血して泣きながら帰ってきたとき、一番に知らせてくれたのは一緒に遊んでいたお友達で、とてもちゃんと報告してくれて助かりました。
ですが、後にはその公園にいた見知らぬ子供たちがぞろっとついてきておりまして、何の騒ぎかとびっくりしました。そりゃー目の前で流血大泣き騒ぎがあれば気になるでしょうしね、家が目の前だからついてきたんでしょう。私が子供のころも何かっていうと皆で一緒に騒いでいたな…という記憶があるので無理もないんですが。ですがその子たち、玄関を開いた途端なんの躊躇もなくづかづかと中へ(笑)。正直、娘の怪我よりそっちにまずは気を取られ、後から流血に気付いて驚いたという…。
娘を家に上げて口の中を調べている間、一緒に上がりこもうとする子供までいて。結局元看護婦の友人が「大丈夫だから、公園に戻りなさい」って半ば強引に追い払ってくれたんですが(笑)。そのときは私も動転していて、娘に掛かりきりだったんですが。今思うとそういえばその子たちの間から「大丈夫?」なんていう心配するような声は聞かれなかった気が。
病院へ行って戻ってくれば、インターホンがすかさず鳴って、出てみるとその子たちが「ねえねえ〜遊ぼうよー」と(笑)。

いやー子供らしくていいような気もするんだけど(笑)。

でも、もしも娘がその逆だったら?って考えるとねえ。小学校も高学年になって、怪我をした子に配慮もできず、心配する言葉も掛けずなんて、それだけでも許せないのに、面識のないお家の家の中に挨拶もなしにずかずか入るようだったら…娘がそんなことをしたとしたら。私は多分烈火の如く怒ると思う。それってただの野次馬じゃん? 相手の迷惑も、気持ちも考えず騒ぎになって面白そうだから近づいて見ているってことじゃん。もうそういうことが考えられる年齢なのに。

で、ふと思いだしたのが、この間の秋葉原の事件。人が倒れていたり苦しんでいたりするのを携帯で撮影している人とかいっぱいいたでしょう。あの感覚って、こういうところから繋がっているんじゃないかしら?と。相手の痛みも、恐怖も考えず、惨劇を撮影してそれを報道に提供する神経。報道も悪いと思うけど、でもそれ以前のモラルというか、感覚の問題のような。何も手を差し伸べて助けろとか、犯人を捕まえろとかって声高に言うつもりはないんです。多分私がそこにいても呆然としてしまうか、必死に逃げるか。せめて通報するか、助けを求めるか。そんな程度の行動しかできないと思うから。でもそれは目の前の状況に対して「恐ろしい」とか「大変だ!」という感覚があるからこそだと思うんですよ。それをその場にいて、自分も被害者になったかもしれない状況下で、苦しむ人を撮影できる神経ってどうなんだろ?と。全員が野次馬感覚ではないでしょうけれども、でも他人を案じる気持ちよりも、好奇心が勝ったんだろうな…と思う。

で、翻って考えると、我が家に押しかけてきた子供たち。なんだかちょっぴり不安になります。誰かが行ったからついていっただけ…っていう集団心理もあるとは思うけども。でももしもうちの子がそういう行動を取ったとしたら、やっぱり私は親として許せないし、悲しいし、多分すごく落ち込む。
こういうことを日常的に許していると、そのうち他人の家だけじゃなくて、他人の心にも土足で上がりこむ子になってしまいそうで。好奇心旺盛なのはいいことだし、怖いもの見たさという心理もあるのは当然で、でもやっぱり相手の気持ちとか痛みを先に考えてモラルのある行動を取れる子になって欲しいなと思うのです。せめて、うちの子だけでも…と。