新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

運動会

唐突ですが先日行われた長女の運動会のことで。
今時は危ない競技は排除、順位のつく競技はご法度の傾向らしい。私も卒業した娘の通う学校は、今のところ騎馬戦もバリバリにやってるし、組体操もしょぼいながらも裸足でやってるし、徒競走関係では3位までには金銀銅(銅は赤なんだけど)のリボンがプレゼントされて胸に付けられる。因みに4位以下はゴールから直接応援席へ強制送還。応援団長は袴履いてるし、応援合戦もあってあらゆる競技で紅白での得点争いももちろんあり。選抜リレーももちろんアリ。先生方も競技があって順位つけられるという、現代においては結構過酷なタイプの運動会らしい(笑)。
それでも「甘いな〜」と思うのはやはり徒競走関係。4年生までの子は2種目から選べることになっている。
普通の100メートル走か?障害物(クイズなんかも含まれる)競争か?


面白かったのはこれを選ぶのにすごく悩んでいた娘。
1年生のとき、事態がよくわからないまま、徒競走を選んで3位。
2年生のとき、障害物を選びなかなか早かったものの髪留めのゴムが網に絡まってしまい2位。
3年生のとき、障害物を選びジャンケンで勝って1位。
4年生の今年どうするべきか?足の速さは真ん中くらい。彼女は何しろ1番になりたい。


「ママならどっちにする?」
「徒競走に決まってるじゃん!」
自慢じゃーないけど、今や歩くのすらヨボヨボなこの母も小学生の頃はなんとリレーの選手に選ばれるくらいの足の速さだった(信じられないって言うなっ…)。
「え〜なんで〜」
「だって障害物ってクイズとかあるんでしょう?だったら足が速くてもビリになるかもしれないじゃん!真剣勝負で負けても悔しくないけど、クイズでビリになったら悔しいもん。頑張っても1番になれない(かもしれない)競技なんてつまんない」
基本的にこれは足の速い人間の理論なんだと思います。きっと遅い人にとっては腹の立つ考え方なんだと思います。遅い人にとっては「遅い私でももしかしたら1番になれるかもしれない」とささやかな希望を持てるのが障害物なんでしょう。さて、娘はどっちか…。うーんうーんと悩んだまま学校に行った娘。結局障害物を選んでました(笑)。
結果、非常に運の悪い展開となりブービー。リボンももらえず、応援席に強制送還。「やーいやーい!障害物なんか選ぶからだ〜!」と口さがない母は、お弁当を食べるために保護者席に来た娘を指差して笑ったのでありました。ひどい母親ですかねえ?いや、本気で「いっそビリになりゃー良かったのに」と思っておりました。
だって、そんなんで1位になったって表面的に「良かったねえ〜」って言うくらいで、何が良かったのかさっぱり私にはわかりません。1位の旗の前に並ぶのがそんなに良いことには見えないし。足が遅いことには変わりないわけだし。今のうちに「運なんかに賭けたところでロクな結果は出ないんだ」っていう世の中の厳しさを知ったほうがいいと思うの、本気で。祖母なんかは私があんまり口汚いので「頑張っても遅い子もいるんだから」と娘を擁護しますが、だったら「頑張っても遅い」というのを証明してこいよ…と思うのです。正々堂々競争して「遅い」ということを自覚した方がいいと思う。この先の人生多分8割方負け戦なんだしさ(え?それは負けすぎ?)。今のうちに「頑張ってもどうにもならない負け」というのをたっぷり味わった方がいい。
んでもって、負けることはそんなに恥ずかしいことじゃないってことも知っておいたほうがいい。でもって負けても何度でもやり直せるということも覚えておいて欲しい。


「ねえママ、どうすれば速く走れるのかなあ」
「あなたのはねえ下に向かって蹴ってるのよ、楽しそうにぴょこぴょこ跳ねてるから遅いの。後ろに蹴らないと。前に倒れこむぐらいに。で倒れる前に反対の足を出す!それを素早く繰り返す!」
という、速い人ならではの無茶苦茶なアドバイスを娘は真剣に聞いております。
「あとねえ、スタートの瞬間に両隣の人を肘でどつく!」
という、ズルイ人ならではの無茶苦茶なアドバイスも真剣に聞いております。
はてさて来年はもう高学年なので障害物はありません。どうなることやら(笑)。
「ふうんそっか〜、そんな技があるならもっと早く教えてくれればいいのに」と娘はケロリ。
バ〜カそういう技も自分で編み出すんだよっ!それがサバイバルな世の中を生き抜く術というもんだ。