新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

それでもボクはやってない感想

案の定というか、ストーリーは省きます。私が書くこともないだろう…というよりはあらすじ書くの苦手なので。

とっても乱暴に言ってしまえば痴漢冤罪事件。つまりあんまり何も深く考えていないタイプの普通の男の子が満員電車で痴漢と間違われ、「やってないよ」と主張するもののそんな小さな声に耳を傾けてくれる警察ではなく、拘置→裁判という流れに巻き込まれていくという話。

以下ネタバレ含む感想です。


主人公は加瀬亮くん。この加瀬くんがなかなかいい味というか、朴訥とした「普通の男の子」っぽさを非常に上手く醸し出しております。この話、彼のこの普通っぽさによるところが大きいんじゃないかと。ああ、これぐらいの雰囲気の男のその辺にいっぱいいるよな…と思わせる。その彼が痴漢冤罪という一見大したことなさそうに思えるけれども非常に大変な事態に追い込まれていくわけで。観ている人(特に男性)は、「うわ!俺も疑われたりしたらどうしよう?」ってびびったんじゃないかと思います。かく言う私も「げ、うちの夫がこういうのに巻き込まれたらどうすりゃいいんだ?」って思いました。家にある夫のエロビデオとかエロ雑誌は慌てて捨てないといけないのか?とかね(笑)。だって家宅捜索が入って、痴漢もののビデオなんかあると「そういうことに興味があるんだね?」なんてドンドン責められるんですよ…怖いことです。エロビデオぐらいでそんな…って思うんですが。独身男性でもそんななんですから、妻子ある男がそんなもん持ってたらもっと疑われるんでしょうねえ?

そんな彼の親友役がヤマコーさん。出番もセリフも非常に少ないですが、これまたピリッとしたいいアクセントの役でした。ニートの設定ですが、彼は友達がこんなことに巻き込まれたのをきっかけに随分とちゃんと法律や裁判について勉強していくんですね。でもって、裁判の行方をしっかり見つめている。

それから母親役がもたいまさこさん。拘留中の息子に面会して「あんたはまったく。全然連絡も寄越さないで…」と愚痴るんですが、これが辛いですねえ。確かに日ごろろくに親に連絡も入れない、フリーターとして暮らしていたりすると親はぼやきたくなるもんでしょうが。痴漢の疑いをかけられている息子に日ごろの生活態度の悪さを指摘するというのは何故だかとっても「犯人らしく」なってしまうのです。そんな筈ないのに。例えば一流企業に勤めるサラリーマンで見た目もびしっとした人だったりするとまったくイメージは違ってくるということ?なんて思う自分の価値観に驚くわけ。

そんな彼らは「やってない」と主張し続け、まだ有罪も確定していないのにまるで犯罪者のように扱われ、結局庶民にとっては大金である保釈金を払い、長期にわたる裁判を行い、最終的に有罪となる。もしもあの日、最初に捕まってしまったあの日に「すいませんでした。出来心で」なんて言っていたらちょっとのお金と、少しの時間で「んたく腹立つなあ」と思いつつも当たり前の日常が戻ってきたはず。無論そこに前科一犯はくっついてきますが。さて身の潔白を証明するべく心を痛め、家族を傷つけ、時間とお金をたくさん使っていくことと、どちらがその人の人生にとって良かったか。そうした努力の後に無罪があれば勿論そちらを選ぶことになるでしょう。彼はそれを信じて「やっていない」と主張し続けているのですから。しかし最後彼が言える言葉は「控訴します」その一言。有罪となって落胆し怒っているのは本人と少ない身内のみ。検事も弁護士も裁判官も「有罪だろうな」と心のどこかで思っているんじゃないだろうか。心どこかで「無罪かも」とは思いつつ。観終わると「こんな思いするぐらいなら冤罪でもひっかぶってしまったほうがいい」と思いたくなってしまうのが恐ろしいことです。

でもってこの映画。そういう日本の司法制度とか警察のあり方とかに一石を投じているのはわかるのですが、あまりにあんまりな現実すぎて素人の私にはどこにどういう問題があるのか判然としません。弁護士には弁護士の考え方や置かれた立場、やり方があり、それは検事にも裁判官にも、警察官にもあり。人が人を裁くことの難しさばかりが迫ってきて、「じゃあどうしたらいいんだろうか?」なんてことは到底わからない。でもわからないけど大変な現実で、それはすぐ側にあって、もしかしたら今日私も当事者になるかもしれない…っていうことだけがよくわかるんですねえ。

さあ最後になりましたが、こっから先はとっても穿ったものの見方かもしれません。無論映画の本題とは著しくずれています。

この映画を観てこれだけはと確信できたのは、女の子のあり方。15歳の女子中学生が勇気を持って「やめてください」と言った…ということが繰り返し出てくるんですが、それって本当にそれでいいのか?と。社会的弱者だとみなされている女子中学生に最初から世間は同情的な雰囲気。でも本当にそうだろうか?というのがオバサンではあるけれど女である私が思うこと。
そんな短いスカートでかわいい顔で一人で満員電車に乗っていたらそりゃあ痴漢にもあうってものよ…なんて言ったら痴漢擁護みたいで怒られるんですかね。でもねえ、例え犯人が捕まって罰せられても「触られて怖かった」という体験は一生消えないものです。それが嫌なら「そんな太もも剥き出しの格好で満員電車にのるなよ」というのが結論。世の中には悪い奴はいるんですよ。それは司法制度が変わろうが、女性専用車両ができようがなんだろうが変わらない。嫌な体験をしたくなかったらもっと防御しろ!と。この映画の女の子はしかも初めてではなかった…ならばなおさらもっと防御できた筈。赤ん坊じゃあるまいし、そういう努力を怠っておいて「触られて怖かった〜」って泣いてどうすんだよ阿呆!と思います。いやもうだってあれはさあ、誘惑ですよねえ。オバサンでも「うひゃーたまらんなあ」と思いますもん。イマドキ女性というだけでは社会的弱者とは言えないと思います。「ぼんやり乗ってるからそういう目に遭う!」と、相手が我が子なら私は言うでしょうねえ。自分もそうだと思っていたから。気ぃ抜くと触られるもんです。体験上。
そして嫌な思いしたところで、被害者的な顔で第三者を頼るばかりというのもいかがなもんよと。こういう細かいことで大騒ぎしすぎなのよ…と思うのは相当私の偏見があるからなんですがね。とある大臣の発言とかもそうですが、もうそんなことぐらいで鬼の首を取ったが如く騒ぐなと(あ、一緒にできる話じゃないけど)。痴漢がいたら「ふざけんなバカヤロウ」とパンチのイッコもお見舞いしてその場で処理できんか?と。
できないですよね…すみません。まあなかなか大変です。
でもそうやって自分を強くしていかないと、そういう子はどんどん被害者になっていくと思いますよ。やられてから訴える…でも本当は訴えたところで痴漢はいなくならないし、嫌な思い出は消えないということです。自分は弱者ではない!っていう意識を持たないとダメでしょう。頑張ろうねえ、女性は。じゃないといつまでたっても「不平等」だの「男尊女卑」だのいう呪縛から逃れられないんじゃないかと思います。自分で自分を弱者だと思ってしまっているんですから。

昔、満員電車に乗っていた学生だったころ、地方から上京した女の子が泣きながら登校して「痴漢にあった」と授業に出なかったことがありましたが、そのとき慰めていたのは男の子たちでした。女の子はどうしたかって言えば「痴漢が怖くて東京の電車に乗れるか!」と。これって泣き寝入りとは違うと思いますけれどもね、私は。こんなことで騒いでいたらもう大変なことになってしまいます。

言い過ぎだったらごめんなさい。犯罪はいけないことなんです。痴漢は犯罪なんです。罰せられるべきだと思います。でもそればかりに拘っていたら人生のすべてが裁判になってしまうかもしれない…。そうなったら本末転倒じゃないかな〜?って思わせられる映画だったんです。
男の人が観たらまた違うことを思うんでしょうけれどもね。