新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

寝ずの番

映画なぞ観に行って来ました。最近観たいなと思っていたのが「かもめ食堂」と「寝ずの番」。かもめは残念ながら先週で終ってしまったので、本日「寝ずの番」を。


いやーいいっ!大人の大人のための娯楽映画ですの〜。おこちゃまにはわかるまい!という大人のお楽しみ満載です。シモネタオンパレードなのにまったく下品な感じがしない。ストーリーや設定などは予告なんかで有名ですし、今更私がここで書くようなものでもないのでパス。


いや自分が死んだ時、こんなふうに周りの人たちが泣いて笑ってくれたら幸せだな〜と。しみじみ思いました。作品中では主要な人々が3人死んでしまうのですが、これがなんとも素敵な死に様。何か重要なことを言い残すわけでもなし、切ないストーリーを残すわけでもなし、皆ある種平凡にぽっくり死んでます。
昔近所のお坊さんが「お葬式や法事というのは、普段滅多に会わない親戚などが無理をしてでも集まることに意味がある。そうして顔を合わせて近況を話したり、昔話に花を咲かせたり、そういう時間を仏様が作ってくれているのだ」と言っていたのを思い出しました。まさにそれこそが寝ずの番。お通夜など、ある意味皆平常心ではいられないもの。そういう時にひとりぼっちにならずに夜通し思い出話ができる。もちろん劇中では相当過激な状態に陥っていますが、これもまた「いいな〜」と思わせてくれる。死んだ師匠の身体を無理矢理起き上がらせてラインダンスをしたところで、死者への冒涜などではありません!そこに居る人全員がそれぞれ勝手な愛情と、勝手なユーモアを持っているのだから。そういうことのできる前提には、それに相応しい生き様があるわけですけどね。


こういう大らかな気質。いいですねえ。私が死んだ時も、「あいつこんな馬鹿なことしてやがったな〜」と大笑いしながら大暴露大会にして欲しいものです。そしたら私はそれを部屋の隅でじい〜っと見て、一緒に笑ったり怒ったりしてますから。