新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

出雲の阿国5

もう5回目か〜。来週は最終回。ホント、よくぞここまで無理矢理詰め込んだものです。最終回どうやって終らせるつもりなんだか。
え〜予定通り(?)出番激減の三九郎。今日の見せ場は雄叫びと喉仏ぐらいでしょうか?いいんですよ、雄叫びだけでも充分です。悔しかろうて。うんうん。頭なでなでは阿国じゃなくて三九郎にしてあげたいですな。傳助の優しさがまた悲しいです。いいなー傳助。でもって山三ですね。もっと色気のあるような浪人を想像していたのでイメージとはちょっと違っていたかな〜。
しかしさあ、これだと要するに阿国は男心も女心もわからんヤツってことか?阿国に思いを寄せる男心も、男の野心も、またそういう男を支えたい女心も、全部わからんヤツなのか?純粋を装って周りを振り回しているだけのヤツではないか?ま、その「純粋さ=踊りに没頭する姿」ということなんだろうけどもね。ならば男無しでは生きていけないような流れはわかんないしな〜。そんなに三九郎と一緒にいたかったっぽくは見えないんだもん。ぶつぶつ。山三もそうだよ。そんなに泣き崩れるほど惚れていたとも思えない。本人に意図がないというだけで、男は全部踊るための道具なんじゃん?なんて言ったら言いすぎ?意図がないだけに余計に腑に落ちないんだけど。それを全部ひっくるめて、そこに説得力を出すためにはやはり踊りが本当に「天下一」でなければいけないわけで。く、く、苦しいの〜。
それも来週が最後だ。ここまで忍耐強く見守って(?)きたのだから最後まで見届けよう。
しかし思うのは「濡れ場は大事だ」ということ。公共放送の宿命かそれらが全部スルーされているが故の盛り下がりもあるんじゃないかと思うのよ。自分で書くときも常々「濡れ場は必要か?」と疑問に思うことがあって、別に避けてもいいかな?と思ったりもしていたんだけど、やっぱり必要な場面には必要だ!(←キッパリ!)大人の人間関係が描かれるべきストーリーならばあって当然なんだな、やっぱり。先週の三九郎&お菊もそうだったけども、山三もそうだし。無しでもっと深い関係を描けたらもっと素敵だけどもね。