新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

出雲の阿国読了

改版 出雲の阿国 (上) (中公文庫)改版 出雲の阿国 (下) (中公文庫)

どうもね、読後感がよろしくない。何故でしょうか?中公文庫で上下巻で出ているんですけれど、上巻のときの面白さが下巻でどんどん失われていく。話は佳境に入っていっているというのに。
三九郎はなかなか面白い人です。そしてそれに不本意ながら振り回されている阿国も悪くない。いや、個人的にこの人は理解に苦しむというか、正直魅力をあまり感じなかったんですが、それでもその振り回されっぷりは悪くなかった。三九郎を主人公として考えられるうちは面白いんですよね多分。世の中の流れにどう抗うのか迎合するのか。
しかし三九郎がフェイドアウトしていくと様子は一変。阿国はその場その場の感情にまかせるので、流れがぶちぶちと切れるんですよ。それでも山三によって再び面白くはなるんですけどもねえ。大体三九郎のフェイドアウトの仕方もどうも腑に落ちない感じがあって。その点、山三の消え方は納得できる。
阿国の感情(それも案外単純)に任せた動き方っていうのは、面白いようで面白くないですねえ。もっとぐいぐい引っ張ってくれるようなエネルギーがあるのかと思いきや、結構流れ流されてる感じが。しかも行動が「情熱」と感じられず「身勝手」にしか見えない。
その分、三九郎が阿国に惹かれることには納得が行くんですよ。踊りの魅力と女の魅力を利用して阿国をいわば「足がかり」としようとした。自分の野心のために。その割り切り方は気持ちが良いくらいで。山三は野心抜きで単純に天下一の踊りに惹かれた分、離れ方もわかりやすいし。
で、阿国の方はと言えば、少なくともその時はそれぞれの男に執着して溺れていたはずなのに、最終的には思い出すらも鬱陶しく思っているというのがどーも。結末なんて、そんなに蹈鞴に執着していたとは知りませんでした!と言いたくなる。河原のお客相手に自由に踊れれば幸せだったんとちゃうんかい!みたいな突っ込みを。しかもずっと蔑んでいた松だけがついてきているという現実を理解はしても感謝はしないし。一緒に出雲に帰ってきた人たちも結構素っ気無いし。尼になった加賀のことも鬱陶しそうだし。で、そんななのに加賀が阿国のことを言い伝えたというのもどお?愛されているのか愛されていないのかどっちなの?
結局ここまでぐだぐだと読後の気分の悪さを書いてわかったのは、阿国を好きにはなれないということかなあ。
つまりはその不可解さが誰にも真似できない阿国の魅力だと言うことなのでしょうけれどもね。誰を愛し誰に愛されても、誰を恨み誰に恨まれても、何を言い何を言われても、昨日のことは昨日の感情でしかなく、すべては「今」にある。そういう無茶苦茶なことをナチュラルにやってのけた女が阿国で、それに皆が惹かれていた。そして、誰もそれについていくことはできなかった。というまとめでよろしいでしょうか。

私は駄目だった。正直、お菊や三九郎の方が数倍好きだ。酷い奴に間違いはないけれど。でも人間ぽくて大好きだ。そっちの無茶苦茶さならいくらでも受け入れられる。

結論:どっちも納得は行かないけれど、ドラマと原作はまったく別物と考えるのが得策。

因みに阿国に出会う前の三九郎と、お菊を失った後の三九郎がかなり気になります。