新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

モノ作り

仕事・仕事・仕事おおお〜♪という状態で、半徹夜を覚悟しつつガツガツやっていたら思ったより早く終わった。うんにゃーこんなに早く終るなら松嶋さんの古畑を観たいなあ〜なんて思うけどすでにテレビは夫に乗っ取られ(涙)。なんか知らないけどツインピークスを今頃観てるんですよこの人。私はあの頃かれこれ15年位前に観て思いっきりはまりました。あの頃はクーパーがかっこよく見えたんだけどなあ、今みるとそうでもない(笑)。何故かしら?でもチラチラ横で観ていると結構懐かしくて面白い。
でも結局テレビを観るわけにはいかないので仕方なく(?)PCに向かう。

昨日のスタ☆メンで太田さんが言っていたことが妙に思い起こされるなあ。株の話題の時の太田さんは良かった!ライバル三谷さんへの叫びよりも印象深かった。
「俺たちは競馬の馬券を買う側じゃない。ジョッキーになる側だ!馬券買って儲けるよりも、武豊になった方が断然かっこ良い」と。そうだそうだ!おいらも確かにそう思うぞ。他人の褌で相撲を取るより(微妙に違うか)、自分で何かやったほうが楽しいしな!決して彼が芸能人だからとか、そういうことではないと思う。意識の問題。そう思って毎日を過ごし、仕事やなんかに取り組めるかどうかがポイントなのだよ、きっと。
子供の頃から「モノ作ってない会社はダメ」という父親の言葉が強烈に染み付いている私は、何故か何かとそう思う。お金や土地のやりとりで利益を得ようというのは私の肌にはどーも合わない。生産性のないものには興味が湧かないのよ。
編集という仕事はモノ作りとそうでないのとのギリギリの境目にある。手を抜けばただの情報操作およびその垂れ流しという「モノ作り」とは呼べない部類に。それを「モノを作っているぞ」という領域に引き上げるのは編集者やその周りの作り手のクリエイティブな意識にほかならない。意識を緩めてしまえば落ちるのは簡単だ。本や雑誌というのはそういう微妙なところにある生産物だと思うのだけど。
原点に立ち返ればきっとモノ作りをしているメーカーさんも同じことだろうね。高い意識を持って作られたモノだけがモノとして認められるような。でもとりわけ出版・編集業はその境目にあるような気がする。印刷物はそこに何が印刷されているか?によってゴミにもなり宝にもなり。そういうのは芸能系のお仕事もそうなんじゃないでしょうかね?きっと。
やっぱりモノ作りは難しい。そして面白い。
株も「この企業なら!」と意識の高いモノ作りをしている企業への応援であり支持としてならば有り得るけれど、きっとそういう株は売ることがないので、やっぱり一生それで利益を得ることはないだろうな〜。それを手放すときは、その企業を支持できなくなったときなわけで、それってもしかして大損しそうじゃん?きっと私にはむかないんだな〜。
因みにモノってのには、目に見えないものももちろん含まれると考えてますよ。