新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

それは言い訳と同じ

なんだってばっ!
なんて突然何事という感じですけども、何か一つのことをするのに(原稿を書くのに)、これだけ調べたとか、何冊本を読んだとか、取材に何箇所行ったとか、何時間話を聞いたとか、執筆に何時間かけたとか、睡眠時間を何時間削ったとか、そんなもんはどーでもいいんだってばっ!!!それは忙しかったからできなかったとか、体調が悪くてやってないとか、それと同じなんだってばっ!!!
すいません取り乱しました(笑)。
何かを作り上げるのにそれなりの労力がかかるのは当たり前のことで、自主的にイロイロ力を尽くすのも当たり前のことで、時間を割いて頑張るのは偉いとは思うけども、それをいちいち人にアピールする必要はないんじゃないの?なんて言ったらちょっと冷たいでしょうかね?
モノを作ったり文章を書いたりするのに、裏側にいろんな努力があるのは当然のことで、だけど出来上がったものがすべてだったりするわけです。評価は出来上がったものの質に対して下されるのであって、努力(と思しきもの)の量ではない。5分で書き上げた原稿も、徹夜で書き上げた原稿も、読んで良ければそれで良し。原稿料は同じなんです!それが仕事というものなんです!
もう、駆け出しの若い子が言うならまだしも(それでもトホホだなとは思うけど)、それなりの年齢の人が言うとかなり引く。そういうことばっかり言ってると、それはかえって自信のなさの表れだととられてしまうよ。「これだけの下調べをしたので私の原稿は良いはずです」などと言っているようなもの。そういう気持ちがあると、その努力を文章に反映させようという意図が知らないうちに出てくるので、逆に原稿そのものが説明っぽくなったり資料の羅列っぽくなったりしてつまんなくなる傾向にあると思うよ。ってこれは私の持論。
もちろん読み手側が出来上がったものから推測して、裏側を「知りたい!」と思うのは自然なことだとは思うけど、書き手が積極的に裏側をアピールしようとする必要はないんじゃないかなと。
あ、これあくまで仕事の話。趣味はお金も絡まなければ利害も特にないので、アピールするもしないも自由。楽しめればそれで良いと思います。って、結局これも読んで良ければ良いってことになるのかな〜。