新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

TV navi

堺さんのエッセー、今回は声の話。後半に出てくる「聴覚タイプ」or「視覚タイプ」の話をちょっと。つまり小説などで「 」の会話部分を読むときに声をイメージするか姿をイメージするか?ということなんだけど、これは面白いなと思いました。因みに堺さんは視覚タイプだそうです。あれだけ個性的な声をしていながらそっちというのは意外な気もしたんですけど、でもよくよく考えてみると納得な気もします。やはりそれは舞台の人だから。セリフを言うときは必ず全身が大勢の人に晒されている状態なわけで、そりゃ自分の姿を想像するのだろうな〜と。ま、これは勝手な推測。
で、この話を読んでいて自分のことを考えたのですけど、実は私も視覚タイプ。これは書くときのことなんですけど。小説を書いていてセリフの部分で気になるのはその人物の「表情」とセリフの「間合い」。これは物凄く気になる。勿論小説なので、誰かに演じてもらうわけでもないし、読み手がどんな顔を想像しているかなんて未知なので、意味があるかどうかは不明。だけど、私が自分で「書いて読む」場合は相当重要なファクターです。
私の小説を「読みにくい」と思う方がいらっしゃるとしたら、その理由の一つにセリフが割れていることが挙げられると思う。一人の人物が一文を喋るのに、その繋がった一文をわざわざ二つに割る。一文なのに・・・。で、割った間に情景描写なり、表情の変化なりをなるべく短く入れる。これが「間合い」。正当な小説の書き方としてはインチキかもしれないし、前述したようにそのために読みにくいと思う方もいらっしゃるでしょう。多用はしないように加減はしてますが、大事な遣り取りの時ほど使います。なぜそんなことをするのかと言えば、その間合いの部分で表情の変化とか、体の動きとか映像的なものをどうしても入れたいから。一瞬の躊躇いとか後悔とかがそういう部分にあって、内心怒っているのにすごく優しく話す二重構造な気持ちなんかもこういうところにある。このお陰でセリフが尻切れっぽくなることも多いですね。最後まで言わないような・・・。
ああ、なんか余計なことを書き過ぎました。こんなのは私の個人的な思いいれなので、読み手の方には関係ない話です。いえ、こんな書き方だからこそ、読んで「面白い」と思ってくださる方がいらっしゃるなら、その方はとっても豊かな想像力をお持ちなのではないかと思うのです。もしもドラえもんがいたら、私の小説を読んでくださった方の頭の中の映像をちょっと覗ける機械が欲しいですね(笑)。登場人物がどんな表情で、どんな間合いで喋っているか知りたい!そんな訳なので本を読むときも私は妙に時間がかかるようです。セリフでいちいち間合いを取ってるから(笑)。
話は戻って堺さん。このところ露出が少ないとか、失業発言だとか言ってファンの間ではいろいろ語られるところもあるようですが、この方の場合は仕事はセーブした方が良いでしょうね〜(超個人的な意見ですから、ファンの方は気を悪くしないでくださいまし)。沢山(同時進行も含めて)やれば出来る人ではあると思いますけどね。それは堺さんではなくなってしまうし。アイドル系のタレントさんなんかはそんなこと言ってられない。現場現場で使い分けて、セリフの意味がわからなくてもわかったように上手くこなしていかなくちゃならない。それはそれで究極にプロだし、素晴らしい!見ているものにバレなきゃいいという部分は当然ある。それが仕事というものでもあるし。でも堺さんは違いますものね。このエッセーに出てくる「雪風」にしたって、一年ぶりくらいで最終話のアフレコをするために1巻〜4巻をすべて見直し、原作を読みなおし、映像を見ながらセリフをあわせて人物の心情や話の流れを自ら考え・・・。という作業をやってから当日を迎えるわけで。数十分の映像、究極に少ないセリフにどれだけの労力(とは思ってないでしょうけど)がかかっていることか。そう考えれば自ずと仕事の量は減るわけで。ま、役者なら当たり前っちゃ〜当たり前だし。私が勝手な思い入れで書くことでもないような気もしますけど。ま、個人の日記ってことで許してくださいまし。ただね、堺さんという人を見ていればその不器用さとか、自然体な感じとか、根底にある頑固さとか・・・。このエッセー一つ読んでもいろいろ想像できたりもするし。超個人的には月曜日のドラマなんかもう出なくていいから、一球入魂の芝居が見たいな・・・と。そんなことを思うわけです。上手い具合にファンを煙に巻いているようですが(天然の可能性も大ですけどっ)、ご本人相当に賢い方だと思いますしね〜。踊らされるのも「いと楽し」ですけどね。ファンとして冷めきってるように見えます?そうかもしれませんねえ・・・でも大好きなんですよ〜。まじで!