新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

丸くなったのは顔じゃなくて!

昔の私はかなりの理論武装派だったように思います。仕事し始めの頃は特に。駆け出しの頃は当然の事ながら実績もないし、右も左もわからないからそれなりに勉強しましたねー(それなりってところがミソです)。その勉強した知識とか理論で完全防備してました。
例えばインタビューの仕事。昔はいろいろ下調べをして、「どこからでも来い!」みたいな状態で挑んでた。きっと怖い顔してただろーなと思います。そんな私に話を聞かれた皆様には本当に申し訳ない。大きな心で受け止めてくださって、私を間接的に育ててくださった方には本当に頭が下がります。
もちろん相手の方に失礼のないように、今でも下調べなどは出来る限りして行きますが、それを表に出す必要はまったくと言っていいほどないのだと気づいたのはいつ頃だったかな。わかっていればそれでいいんだと。言葉にする必要などなかったのですね。ケースバイケースではありますが、知らないふりをした方がいい場合もあったり。
考えてもみれば当たり前のことなんですよね。仕事とは言え、初対面で自分のこともの凄く細かく知ってられたらそれだけで引きますよねえー。知っていても知らないふりで、調子を合わせ、ちょっとマニアックな話になってもそれとなく合わせていく。それがプロなんだーって、それを実感するのにはちょっと時間が要りました。
もちろん本当に「知らなーい」じゃまずいんです。相手の方によってはそういうのお見通しだったりするし。でも、だからこそわかっていれば口にする必要はないのだと思います。言わなくても相手の人はちゃんと察してくれて、こちらを認めてくれているんですね(ま、これは良い人の場合)。
中にはこちらを試すようなことを言う人もいますけど、その時に完璧な答えを言うのもマイナスに働く場合があったりします。つまり相手が自分より下であることを確認したい人。そんなときに知ってるからって理論ぶちまけたら台無しです。へそ曲げられちゃうもん。
いやあ、人間って面倒な生き物ね。
でも他人とのコミュニケーションを円滑に行なうという意味では、プライベートでも必要なことかもしれません。
自分がいっぱいいっぱいのところで我を張っちゃうと余裕がなくなってしまうので、相手の考えていることが見えなくなるし。一歩下がって、自分の考えだのなんだのはちょっと後回しにしてみると、結構ちゃんと見えてくるもんなんですねー。そうするとどうやって言えばこの人にはわかってもらえるのかな?なんていうのもわかってきたりして、同じこと言うのにも上手く伝えられるようになるもので。
これが上手くいって、相手の言いたいことが余裕を持って理解できて、自分の言いたいことがちゃんと伝わったりすると、本当に嬉しい。こうなるとアホなこと言う人にも意外と腹も立たなかったりして。いや、腹が立って食って掛かってしまう場合もあるんだけど、これは相手限定の話(←社長!あんただよっ)。
時々余裕無くガーガー言って来る人を見るとちょっと気の毒になってしまうこともあり。でも、つい数年前までは自分もその中の一人だったのですよね。間違いなく!
ま、人と上手く付き合おうという発想があって初めて出てくるコトなので、立場や状況によってはまったくそんなことは必要ない場合もあるんですけど(笑)。
とりあえず最近の私は理論という名前の武装はほぼ全面解除。これをまるくなったと人は言うのだ(笑)。