新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

作文は苦手

こういう仕事をしていると、時々「子供の頃から作文とか得意だったの?」と聞かれることがある。そういうときの答えは100パーセント「NO!」。本当に苦手だったね。苦手というより嫌いと言った方が合ってるかな。
夏休みの自由研究(接着剤の強度実験とか主に理科)とか、図工の時間の工作とか(絵は書けないが工作は得意だった)、書道とかで表彰されたことはあっても作文&感想文だけはなかった。入試のときの小論文も本当に嫌だった。
先日知人のライターさんと(飲み屋でお茶を)飲みながら話す機会があったのだけど、彼女は受験雑誌とかの小論文の模範解答作成なんかを仕事にしていたことがあるのだそう。いやー私には絶対できないね。やりたくもないし。仕事でも嫌だな(←我がままですね)。
そんな風に模範解答が作られる出題だという時点で何の意味もないと思ってしまう。要するにそれって「相手がどんな作文を求めているか?」にどう答えるか?ってことでしょ。本心なんて書く必要ないわけだし、そんなもんに何の意味が?
話が逸れましたが、小学生の頃から作文は大嫌いでした。授業ではちゃんと時間までに書き上げて提出して、それなりの点数を貰ってましたが、それを楽しいとか面白いと感じたことは一度もなかったです。
それより書くのが面白いな〜と初めて感じたのは多分小学4年生くらいのころに作ってた学級新聞。勝手にネタ捜して、勝手なこと書いて良かったんですもん。先生に読ませるんじゃなくてクラス全員に読ませられるし(笑)。
まあ、現在の仕事もシゴトですから、そうそう面白いことばかり書けるわけではありません。その辺は私もさすがにちょっと大人になったらしく、割り切って仕事に励むことができるようになりました。
でも隙あらば、その中に自分じゃないと書かないようなモノを忍び込ませてみたりします。まあ半分くらいはどこかでひっかかって勝手に直されたりしてますけど(笑)、中には検閲(?)をスルーしてそのまま世の中に出てしまう場合もあり。こういうときは結構笑っちゃいますね。
結局、こういう仕事には「学校のお勉強」は関係ないっつーこと。いや、国語の成績は悪くなかったですよ、ずっとね。でもそんなことよりも、自主的に書き続けてきた文章や、社会に出てから書いてきた実践での文章の方がずっと意味があるということ。そういう中で鍛えられて、やっと人並みのもの(あくまで仕事の方ですよ)が書けるようになったと言ってもいいし。
上手い文章書こうとすることより、自分の脳みそとか心を鍛える方が必要かもしれないですね。いくら正しい日本語が操れても、中身がなければ誰も読みませんから。
で、冒頭の質問事項。そういうことを聞いてくる人はだいたい「どうすればフリーライターになれるのか?」なんて聞いてきたりします。
んなこたー知らん!自分で考えろっつうの!
だいたいそんなことも自力で考えられない人に仕事なんてできるのか?そういう人への答えはこれです。「パソコンで名刺つくるんだよ。フリーライター○○○○って」そうすれば、その瞬間からあなたはフリーライター。仕事があるかどうかは知らんけどね。
何しろフリーだからね。別に誰の許可もいらないし、試験もない。勝手に名乗っていいのよ。カンタンでしょ?