新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

私の住む千葉県では個人からの物資受け付けを早々に終了したようです。状況を見て第二弾第三弾とやるような雰囲気のことが書いてあった記憶があるのですが、今はそういったインフォメーションはなく「終了しました」で終了。素っ気ないな、千葉県。今は選挙問題でそれどころじゃないのか?だとしても、それでいいのか?
市の方は動いているようなのでそちらで協力を…と思うのですが、集めている物資が端から我が家にはまったくないものだったり、お店でもとんと見かけない商品だったりで、上手く協力することができないのが実情。仕事柄あちらこちらから裏情報というのが流れ込んでくることが多々あるのですが、悲しいかなどこでも大人の事情的なものがあるようです。災害時に大人の事情ねえ…。溜息が出てしまいますけど、それが私の住む日本という国の現状なのでしょう。はー。
赤十字を通した義援金などは、公正に使うためにすぐには使われないのだとか。つまり現在はプールされた状態?被災された人に平等に使用されるように…とか、有意義に使われるように…という配慮でありルールなのでしょう。これについては無知だったのがいけないのだけど、目の前のテレビ中継で困っている映っているのに、今すぐには助けてあげられないというのは実に歯がゆい気持ちになります。
救援物資も、あるところでは「保管場所がいっぱいになるほど」とも聞くし、「届いても仕分けできないから断っている」とも聞くし、「末端まではまったく届いていない」とも聞くし「別の者が必要だ」とも聞きます。これまたなんとも歯がゆい。
心の隅には現地へ行ってお手伝いしたい気持ちもなくはないけど、健康にまったく自信のない人間は近づかないことこそが肝要だと。そこらへんは私も大人なので、言われなくても身の程をわきまえているつもり。自ら車を運転して物資を届けられるほどの財力も体力もないので、そこらへんは杉良太郎さんにお任せすべきでしょう。そう、杉さん…オトコマエだねえ。いや、江頭さんもかなりのオトコマエだ。



じゃあ何ができるの?募金箱にお金入れて終わり?それは悪いことじゃない筈だけど、なんだかそれだけじゃ辛いじゃないかー。なんて毎日毎日悶々としているのは私くらいなのかしら?
すっかり何が正しいやり方なのかわからなくなってきたけれども、それでも今正しいと思えることを日々やっていかないと自分が後々後悔しそう。結局自分の満足のためか?これもエゴかもしれん…と、若干負のスパイラルに入りつつもなんかすることで脱出するしかないわけで。

靴を送るプロジェクトを、これまた友人が教えてくれたので送ってきました。個人の方がやられているそうです。なるほど。確かに靴というのは行政が呼び掛けて集めるのは難しいものかもしれない。ましてや中古だと不届き者さんが大量に出そうだし。でも着の身着のままで逃げた方にとっては、替えの靴は必要でしょう。きっと道は悪いし、作業のために汚れるだろうし。子供だって外で走り回りたいだろうし。個人の方だからこそ考えつき、実行できることなのかもしれません。

子供の小さくなってしまった靴。常々似合わないなあと思っていた夫のスニーカー。微妙にサイズが合ってない私の長靴。両親お揃いのテニスシューズ(←最近卓球にシフトしたので使わない)。両親お揃いのウォーキングシューズ(←友人にそそのかされて買ったけど気に入ってない)。などなど。なんとなくもったいなくて捨てられずにいたけど履いていない、ソコソコきれいな靴がいろいろと。
お役に立てるのだろうか…と思いつつ、朝から日光消毒(笑)し、泥汚れをふき取り、ダンボールに詰めて送りました。


クロネコさんの集荷所の方。持ち込んだ父が「救援物資:靴」と伝票に書いたところ「ありがとうございます」と仰ってくださったそう。仕事とは言え、届ける方も大変でしょう。東北道は開通したとは言ってもあちこちに激しい段差があって、走るのにはとても気を使うと昨日そこを走ったばかりの父が言ってました。そんな中で個人の救援物資を中継してくれる宅配便業者さんにも頭が下がります。ましてや「ありがとう」だなんて。
腹立たしいことも山ほどある今日この頃だけど、こういう小さなことに毎日元気をもらっております。ほんと、こちらこそありがとう。