新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

深夜食堂第五回

第四回の感想を書かなかったのは…うーん…何書いていいかわかんなかったから(笑)。だってなんだかすっごくつまんなかったんだもの。ツッコミどころさえつかめないくらいに、全部がツッコミどころだし。というわけで、個人的にとっても不発だった3回&4回を過ぎて「今回もオダギリ出ないのか〜〜〜ぶうう〜〜〜」と文句垂れつつ観た六回。よかった!すごくよかった!クオリティが戻ってきた!ほっとした!熊本課長最高だ!(岩松さんを観るとどんな役でも熊本課長と呼びたくなる・笑)。しかもながしのゴローさんがあがた森魚さんだった!おじさん二人にぜーんぶ持って行かれた感じの心地よい30分だった!


一体何が4回と違うんだろー?一皿の料理に懐かしい思いを抱いているところは同じなのに。故郷を思い起こさせる味であることは同じなのに。大切な誰かを心の中につなぎとめる味であることは同じなのに。己の人生のあり方に満足しきれていないことは同じなのに。それでも一生懸命生きていることは同じなのに。
なんでだー?


ああ、でもやはり心の持ち方が違うのかもしれない。今回の熊本課長(岩松さん)も、ゴローさん(あがたさん)も、今の自分に満足はしていないかもしれないけれども、しかし自分の中でちゃんと折り合いをつけているんですね。ちゃんと自分の足で立って生きていて、後悔はしていない。そしてバターライスを懐かしがりながらも、ちゃんと前向きに生きている。評論家としての仕事はきちんと全うしながらも、自分というものを見失ってはいないし、ゴローさんも貧乏であることを嘆いたりはしていなくて、ギターを弾けなくなったことを恨んだりもしていなくて、ちゃんと「それも自分だ」と自分で責任とって生きているんですね。
一方4回のエレクトうんたらは、後悔だけなんですよねえ。弟子をとっておきながら、弟子の仕事を見守ってやらない、連絡すらもとれなくなる…それほど母親のことを大切に思っていたという描写なのかもしれないけれども、それはイイ年した男の無責任にしか見えないし。意地悪く観てしまえば、長年親不孝してきた人間がいまさら?というような感じだし、まあそういう人間だから家も仕事も中途半端なんだよ!と毒づきたくなってしまうわけでして。いや、年間何百本だかの仕事をこなしていたというから仕事には真摯だったのかもしれないけど、母親のことがきっかけで、無責任な状況を作りだしてしまうというのは納得いかんのです。母親が痴呆にならなければ気づかなかったのか!という後悔の方向にしか話が進んでいないのがすごく後味悪くって。痴呆になった今ではあるけれども、気づくことができて良かった…という前向きな方向になっていないのが今回との違いのように思えます。因みに、自分がこうなったから弟子にも後悔させたくなくて…ってのは、かなり上っ面なキレイごとのような気がします。てか、それ言ったら「やっぱり後悔してるんだね?この仕事を選んだこと」っていうオチになるじゃないのー。
反省はたっぷりしたらいい…でも人生を後悔してもなーんも生まれてこないからねえ。このエレクトうんたらが今後どうやって生きて行くのかが見えなかったのが、最大のつまらなさだったんじゃないかなあ…。と、第5回のゴローさんの潔い、それでいてとても自然体な選択を観て初めて気づいたのでした。


最初出てきたとき、熊本課長嫌な役じゃのーとイラっと一瞬したんだけど、それを引きずらないで言葉少なに「おや?」と思わせたまま最後まで行くあたりは、作り手と役者さんの素晴らしさを観た気がしました。これならオダギリがいなくてもいい(笑)。
あー、それにしてもバターライス食べたくなったなあ。戦中生まれのウチの母は「子供の頃バターライスを食べると、まるでタマゴかけご飯みたい〜!って幸せな気持ちになった」って昔よく言ってたっけ(貧乏だったのでタマゴはあまり手に入れられなかったらしい)。で、私も子供の頃ときどきマネして食べてたな…それほど美味しいと感じなかったのは、やっぱり恵まれた食生活だったからなのかなあ。20年ぶりくらいに、今夜はバターライスにしてみようかなー♪