新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

人にモノを聞くということ

どーも知識や技術を持っている人に何かモノを尋ねるというのが「タダ」だと思っている人が多過ぎるように思います。人から知識を得るというのは基本的に有償なんですよ。
私の場合資格のあるものじゃないので、線引きは難しいんですけれども「何かいい企画ないですかねえ〜」とか「アレがダメになっちゃったんで代わりに何か知りませんか?」なんていうのに電話で答えることが「タダ」だと思われているのには少々腹がたったりします。ちまちました仕事であっても長年それを続けてきた中で得た知識や手法なので、それを「タダ」で伝授するのはどうだろうかと。
会社だったらまた話は別です。後輩の育成も仕事の内だと思うし、結果的にそれで良いモノを作ることができるのならば社にとってプラスであるから、それは必要なことでしょう。でもフリーの私はそういう引き出しをたくさん持つことが自分の財産なのであって、それをタダで皆さんに配るような大盤振る舞いはできません。っていうか、それじゃ商売にならん。
例えば翻訳家の方に「ねえねえちょっと〜」と口頭で1行訳してもらう。それは基本的に有償なのですよ…。便利に使っちゃいけないんです。

父が技術系の仕事を独立してやっていて、それを手伝ったりもしているのですが、これがまた「問い合わせ」と「個人的相談」をごっちゃにしているお客さんの多いこと。父曰く「日本人は人にモノを尋ねることを無償だと思っている」のだとか。それが日本人的なことなのかどうかは私にはわかりかねるけれども、実際そういう人が多いのは事実のような気はします。

とかナントカ言いつつも、「そうだねえ〜それは」と口頭で答えてしまう私も悪いんですけどね。そうやって友好的な関係を築くことで次の仕事に繋がれば…とは考えます。これも営業活動の一環だと割り切って。それが周囲の編集者や関係者にとってプラスになって良いものが作れるのならば…と大らかに考えることも大切かもしれないし。でもそれはそれに対して感謝の念を表現してくれたり、それを活かして相手が成長してくれたりというのがないとやはり辛いです。こちらはそれなりに時間と脳みそを割いているんですから。
これを美徳とするか、損していると思うか、自分次第ではありますが、でもやはり知識は有償でしょう。無償だった場合、これは相手の好意なのです。

ちょっと忙しかったり、仕事で腑に落ちないことがあるとこんなことを考えてしまいます。心が狭くなっているのだろうか?