新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

これも自己満足です

取材ものの仕事だと、本当にいろいろな方にお会いするのですが、所謂素人の方(著名人ではない方)の取材というのは何かと興味深いです。

とあるボランティア団体の取材に行ってきました。行政などの助成も受けて、障害を持つ方の支援などを行っている団体さんです。
会長さんはかなり年配の女性なのですが、これが正直なところかなり強烈な方でした。良く言えばとても自己主張の強い方、悪く言えば偉そう。実はそういう団体さんの取材というのは過去に結構たくさんしているので、それなりに私にも蓄積があるのですけれど、何故か上に立つような女性にこういう方が多いのです。
なんと言うのかな。
自己顕示欲が強いのだろうか?いや、誰だってそうだろうし、私自身も「認められたい」願望はあるから、同じといえば同じなんだけれど、ボランティア活動をしている方の態度がすごく偉そうというのは正直言って違和感があるな〜と。常々思っていたのです。
でもなんとなく今日その理由が見えたような気がしまして。

同行した行政の担当者が影でぽろっと言ったんです。「自己満足だな」と。それも強ち間違ってはいないと思う。第一ボランティアなんて、良い意味で自己満足でなければやってられないことばかりですもん。まったくもって自己満足は悪いことじゃない。
だけど、それだけで続けられるだろうか?と。頑張っていたらやっぱり労われたいし、評価されたいと思うものでしょう。彼女達も、多分皆に評価されたいのだと思います。実際結構面倒な作業をたくさんやっていて、でもそれに対して「ありがとう」と言われることは非常に稀なのだそうです。得てして何か反応があるときは「間違っている」とか「もっとこうしろ」という意見要望。まあそれはどんなことでもそうだとは思いますけれどもね〜。

ハッキリ言って感じの悪い方で、質問にもあまりまっとうな回答はくれませんでした。それを上手く言わせるのが私の仕事でもあるので、私の力不足とも言えるけれど。食い下がっても良かったのだけれど、なんとなくそれをする気にはなれなかった。話しているうちに聞かなくてもわかってしまったような気がして(でもそれじゃ原稿にはならないんだけどね)。
彼女達の取り組んでいることは、本来なら行政が全部やるべきことなんじゃないかと思うのです。彼女達もそう思っている。でも結局それをボランティアという名の人に依存している。しかもそれが当然だというように行政は対応している。だから彼女達はとても認められたい気持ちになってしまう。多分「ありがとう」とか「えらいね」という単純な言葉を欲しているんじゃないかなーと。
これはとても個人的な感覚ですけど。

私は単なる取材者なので、その場で「えらいですね」とは言いませんでした。現場では彼女の態度に少々腹がたったし、プライドの高そうな彼女はきっとそんな言葉を私のような若いもんに言われても素直には受け取らないと思うし。個人の感覚からすれば、私は彼女が好きではない。彼女も私を認めてはいないと思う…多分。

じゃあどうするか?って言ったら私がしなければならいのは、そういうことを過不足なく書くこと。もちろん趣旨から外れはいけないので、ストレートなことは書けないし、私の価値観を押し付けるなど言語道断なので、深い部分はオブラートに包んでこっそりと。
普通の読者にはわからないかもしれないけれど、「ちゃんと見ている人はいるよ」ということを彼女達が感じてくれたらそれだけでもいいかな。彼女達の自己満足に依存しなければやっていけないのも事実だから。

って、それを書くのも私の自己満足かね。なんだか支離滅裂だな〜。