新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

育児は育自

夏休みに書いた旅行記を娘が持ち帰ってきました。先生のあまり心のこもってなさそうな(笑)コメントつきで。まあ学校なんてそんなもん。私達の頃から比べれば随分減ったけど、1クラス35人もいればそりゃその程度のコメントでしょう。
それより気になったのは娘の言うこと。クラスで展示して、良いと思った作品にシールを貼るのだそうです。有体に言えば人気投票っすね。で「私は一枚も貼られなかった」と。いろいろ聞いてみるとクラスの殆どの子が工作をしてきたらしい。紙粘土の花瓶、テレビ番組伊東家〜でやっていたリサイクル工作、トールペイント教室で作ってきたネームプレートetc。子供の拙い報告でもだいたいその様子は浮かんできます。つまり、地味な旅行記などというものは誰の目にも留まらないっつうことか。ふむふむ。大量に文字と図解の書き込まれたスケッチブックを、クラスの子の何人が開いたかどうか?読んだ子など一人もいないに違いない(というより一年生の書いた字なんて親ぐらいしか読めそうもないし)。で、そういう紙ベースなものを持参した子はわが子を含めて3人だったらしい。
問題はそれでショボンとなっている娘の方で、めちゃめちゃ張り切って書いていただけにその様子が痛々しい。この局面にどういう言葉をかけるべきなのか?無駄に励ますとか、慰めるとか、不器用なこの母にはできないので思ったことをそのまま伝えてみました。
「字がいっぱいあるから皆読んでないに違いない」とか「見た目がきれいなモノに皆釣られたんだ」とか「はっきり言って一年生でこういうことがわかるような子は居ないだろう」とかです(笑)。いや自分でも子供にここまで言うのはどうだろうと思ったんだけど、案外子供ってそういう感覚を掴めるらしく、ふむふむと頷きながらかなり納得している様子。
ついでに「多分皆はパパやママに手伝ってもらっていると思うよ」なんて憶測ですがそんなことも。「ママは一人で全部やったあなたの自由研究は凄いと思う!」と、それだけは伝えました。正直なもんで、娘にとってはそれが一番幸せな言葉だったらしく、ぱっと顔が晴れました。
こうやって小さな挫折とか、世間とのズレとか、ちょっとした寂しさを肌で感じながら大きくなっていくんですねえ子供は。ここで「じゃあ来年から見栄えの良い工作にしたら?手伝ってあげる」なんてことは口が裂けても言いたくない。そうすれば子供は素直に「シール何枚貼られた〜」なんて喜べるでしょうけど。そうやって世間で評価されやすいものに迎合してどうする?そんなことするから自由研究が負担になっていくんだ。好きなことやっていけばいいのさ。なーんてことを考えながら、それでも後から一人でちょっと悩みました。
娘よ、んなことぐらいでしょぼくれるな!親の手を全く借りずにぐちゃぐちゃといっぱい書きまくったアナタは偉い。書きたいと思ったことを書きたいように書け!それでこそわが子じゃ。そんなガキ同士の人気投票なんてこっちから願い下げだっつーの!
なーんて親バカな部分は心の中で叫んだりして。でもやっぱりショボンとしている娘の顔は瞼に焼き付いて離れないのでした。親も成長しなけりゃあかんね。