新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

出るのは溜息ばかりなり

子供のころから、クールでテンションのあまりあがらないタイプの人間ではありましたが、ひとたび「許せん」ということが怒ると手がつけられないほどに怒るタイプで。
しかしそれもほどほどの年齢になり、仕事をし世の中の不条理を身を持って体感し、成長しない人間のサンプルを伴侶として共同生活し、それに付随する親戚関係などに戸惑い、子供など生んでその素直さに感動し、その面倒くささに辟易し、世界は広い…私の持っている価値観などゴミのようなもんだ…と自覚し、滅多なことでは怒らなくなり(←子供は除く)。ちょっとは怒っても顔にださずにやり過ごすことも覚え、かなり怒ってもやんわりと真意を伝えるよう言葉を選ぶことを知り、それでもどうにもならないことに対しては御縁がなかったのだと思って忘れるという荒技を身につけ…。つまり。「私も随分とまるくなったもんだ〜〜」と、思っていた今日この頃なんですが…。



ただいま怒りにうち震えておりまして、何をブログに書けばよいのやらネタもみつからん状態です(おかげで龍馬伝も手つかずだー)。



子供の習い事の先生の常識のなさに、あんぐりと開いた口が塞がらず。それでも周囲との関係を考えてかなり我慢してきましたが限界ですっ!著しく社会常識のない人に、子供を委ねることなどできましょうか…。それもまた社会勉強だと思い、子供にもあれこれと言葉を尽くしてきましたが、しかしそういうものにも限界というものがあるわけで。いや、簡単なことなんですよ…「やめま〜す」とヒトコト言えばそれで済む契約でしかないわけですから。しかし、これまで7年間、信頼関係だけで黙認してきたことがたくさんあるわけで。子供の頑張る姿と笑顔があるからこそ、やり過ごすことができたのです。だからこそ尚更、許せん〜という気持ちも増幅するわけです。

でも我慢しなくちゃという大人の気持ちがあるために、ひじょーに苦しいんですねえ。我慢しなくていい…言いたいこと言って、もしも喧嘩になったっていいじゃないか…寧ろ望むところだ!と、思えたならどれだけ楽でしょうねえ。
思ったことを口にできない…それもまた不健康な感じがして。一体どうするのが一番良いことなのか、考えれば考えるほどわからなくなってくるものです。
不惑の年も近いというのに、迷い戸惑い悶々とする日々。どれくらいの年齢になったら、泰然自若として心健やかにいられるものなんでしょう…。いや、年齢じゃない、本人の心がけだ…という声が頭の中に浮かんできて、なんだか溜息しか出てきません。

長女が一緒になって溜息をつきながら「溜息をつくと幸せが逃げて行くんだよね」と言います。それを聞いた次女が「そうなんだー。じゃあそれを吸った人はうんと幸せになれるね」と、とんちんかんなことを言います。でもちょっと癒された(笑)。さあ頭を切り替えなくちゃ。楽しいことを探さなくちゃ。
でも、そんなことをしてもやっぱり解決はされない…。これが大人の世の中なんだな…ふう〜。