新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

徒然昔話

昔、元新聞記者の方にいろいろと教わる機会がありまして、正直パーソナリティ的に親しくなれない感じの方でしたが、そういう方に限っていつまでも心に残ることを言うもので。そのとき素直に受け入れられなかったからこそ、胸に残っているのだなと思いますが。

いろいろと記憶に残ってます。今日ふと思い出したのは「もっと五感を働かせろ」というようなこと。

確か言われたときには「通学電車でウォークマンなんか聞いてるな、本なんか読むな、外の景色を見ろ、周囲の人の様子を見ろ、話していることを聞け」というような感じだったかと。やたらエキサイティングに怒ってたのが印象的でした。あれ?全然五感じゃないですねえ、二感だ(笑)。つまりその方が言いたかったのは、「そんな家でもできることはやめて、そこでしか感じ取れないものを掴み取れ」ということだったらしい。その方には「駅からここまでの道、何の店があったか順番に答えてみろ」と言われて、毎日歩いているのに数件しか答えられず、しかも順番も間違っていた…という事件(?)もありました。「お前が毎日、どんだけぼんやり歩いてるかわかったかっ」と怒鳴られ。まったくもってその通り。ただその頃の私は「言いたいことはわかんなくもないけどさ、それが何の役に立つわけよ?」という反発心の方が強かった。「店の名前が言えたらなんなんだよ!」と。まさに十代っぽい馬鹿さ加減です。

ちょっと話がずれますが、本は読んだほうがいいですし、できればたくさん読んだほうがもっといいにきまってる。そのために通勤時間を使うのは上手な時間の使い方。でも読んだだけじゃ何にもならないんだな〜と思う今日この頃。文字を追うだけなら誰でもできる。ただたくさん読めばいいんだったら、とにかく時間を割けばいいだけのことで、だとしたら暇な人ほど賢くなるじゃん(笑)。問題はそこから何を読み取るのか?そして読み取ったことをどうやって咀嚼して自分の血や肉にするのか。
本はいろいろ教えてくれるけど、それはたくさんある外部刺激の中のひとつでしかないのかもしれない。読んでわかった気になって賢くなったつもりになって安心してしまうのは、とても恐ろしいことじゃないかと。そうなってしまったらあとはいくら読んでもそれは垂れ流し。血にも肉にもならない。ならばちょっと外の景色を見て、行き交う人を見て、想像力とか観察力を鍛えてみるのもいいんじゃないか?と。

自分はあんまり読書家じゃないので、今やこれは私にとってはかなり都合の良い言い訳になりました(笑)。同時に、咀嚼能力も妙に鍛えられて、なかなか仕事に役立ってます。「趣味、観察と分析だね」と友人に言われるまではそこまで意識してなかったんですが…言われてみるとそうかもしれない。趣味で仕事が成り立ってるとも思えないですけどねえ(笑)。

「書を捨てよう、町に出よう」と言ったのは寺山修司でしたっけ。そういうことを言っているわけじゃないんでしょうが、なんとなく書に溺れるな…と言われている気がしてニュアンスが好きです。

この頃「たくさん読んだ!すごいだろ」というような出来事に遭遇することが多かったので、連想的にちょっとそんなことを思い出しました。本当は出版業の端っこに携わる者としては「とにかくたくさん買ってくれ」って言うべきなんでしょうけれどもね〜。