新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

世の中が優しくなり過ぎているみたいです。

幼稚園や学校の運動会なんかでも順位をつけない方向に動いているようです。普通の徒競走っていうのは希望者だけで、それ以外の人は障害物競走。それも平均台だのパン食いだのならともかく、その合間に何故かじゃんけんコーナーが(笑)。勝つとトラックをショートカットできるという「それ運動会かよ?」というようなシロモノです。
幼稚園の綱引きは盛り上げるため…と称して2回戦目は1回戦の負けチームにさりげなく後ろのほうに保護者がくっついて勝ち負けを操作。小学校でも後から助っ人が参入するゲーム方式が取り入れられていて、負けたことの理由を「運」にしようとしているのですねえ。
幼稚園のお遊戯会なんかでも1つの役を3人くらいで並んでやります。つまり主役の王女さまは3人。セリフも均等に。そんなふうに優劣をつけないことが「いいこと」みたいになっているのはちょっと解せない。

極端な言い方ではありますが、可愛い子、セリフをいっぱい覚えられる子、演技が上手な子が主役になるのはあたりまえ。できない子がそうでない役になるのは当たり前。足の速い子が運動会で目立つのは「運動会」なんだから当たり前、遅い子がちょっと恥ずかしい思いをするのもしょうがないこと。
という私も、決して主役をできる子でもなかったし、運動会でリレーの選手になれる子でもなかったですが、それなりに悔しい気持ちになったり、恥ずかしい気持ちになったりしたことを「嫌な思い出」だとは思いません。そのとき文句を言ったり、泣いたりはしたけれども、だから自分の人生が「負け組みだ」とも思わないし。運動ができないからこそ他の事で頑張ったこともあったし、主役をやるためには普段から積極的に「はいはーい!」と手を上げることが必要なんだとも知りました。かわいくなるのは難しかったけど(笑)。

そういう小さな積み重ねって、案外大事なんじゃないでしょうかねえ。楽しいだけじゃ大人になったとき「え?社会ってこんな?」ってびっくりしちゃいそう。可愛い可愛くないは主観だから、どーでもいいっちゃいいんだけど、結局大人になって恋愛をするようになったってそれは付き纏ってくるものだし。可愛く見せることはやはり覚えるだろうし、造作じゃない可愛さを見つけることも大事だし。

そんな私の娘は障害物競走を選んだのだとか(笑)。お前も運まかせかよ!と一応突っ込んでみました。ジャンケンの練習しとけ!とも。
逆に実力があっても運が悪くてダメっていうことを体感するのもいいだろ…と思ったりもしたけれど。どー考えても普通に走ったら遅いほうに入るであろう娘なので、やっぱりここは運の良さかける方向か?

思えば私の人生も半分以上「運」まかせだったかも…?どっちがいいのかわかんないですね。