新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

閃光の新選組

気になっていたくせにほったらかしになっていた一冊。

閃光の新選組

閃光の新選組

三井文庫新選組金談一件」から読み取れるあんなことやこんなことがいっぱい。基本的に西村兼文ルートの話なので、その線からは殆どぶれませんけども。「金貸してっ」って新選組に言われて、あの手この手でそれを回避し続ける三井両替店の奮闘振りがそこかしこに(笑)。借財拒否のため、間に誰を挟もうかということで西村氏が選んだ隊士が観柳斎というのもナイス人選。少なくともこれを読んでいると観柳斎の人物というのは後世ちょっと貶められている気がします。もっと賢くて、もっとキレ者だったかも…と思わせられるのですが。伝えられている(創作も含む)死に様と、どこから出てきたのかわからない男色疑惑が彼のキャラを変えているような気がしなくもなく…。近藤さんが久留米藩に出入りする際にも同行してますしね。

全体には、研究書でありながら伊東氏の見解および表現がちょこっとロマンチ入っているのが私はツボです。正しいのか?事実なのか?は、さておき、さまざまな断片から思いを馳せるってのがやっぱりいいですよねえ…。それが愛情だもの。斎藤さんの石畳なんて…もう。ロマンチ万歳!

その斎藤さんについて書かれた「斎藤一の明治」の項も私好み。永倉さんとの対比で、明治の生き方の違いを指摘されてます。
甲陽鎮撫隊後も近藤さんや土方さんと行動を共にし、流山後会津で戦い抜いた斎藤さんはある種「完全燃焼」していたと。しかも西南戦争にも赴いているわけで(傷も受けて)。つまり彼はその時々戦い抜いてきたため、明治の世沈黙したんじゃないかと。
一方の永倉さんは、流山前で袂を分かっている。これは彼にとって「終生の痛恨事」だったんじゃないかと書かれています。
そう言われてみると確かにそう思えてくる。近藤さんの投降そして斬首という結末があるとわかっていたら、永倉さんはあそこで離脱しなかったかも…なんて歴史に「たられば」は禁物ですが、まあそういうことでしょうか。後悔の念があるからこそ慰霊墓建立事業に邁進したのでは?と。
そう考えると、警視局に身をおいた斎藤さんの痛みもわかるけど、永倉さんの明治の生き方にも深い痛みを感じます。慰霊することでしか戦いを終わらせられなくなっていたのか…。そう思うと、日清戦争への従軍を希望したあたりにも合点がいきますし。心の中でずっと戦い続けてきたのかな。
今まであまり永倉さん視点で明治を見ていなかった自分をちょいと反省しました。