新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

二晩過ぎて徒然に

徒然に書くので、内容はあっちへいったりこっちへいったり、そしてとても個人的な話ですがご了承ください。



地震から二晩過ぎて、我が家には日常が戻っています。夫は昨日のお昼過ぎ、電車で無事に帰宅できました。ただ帰宅後も社員やアルバイトさんの安否確認に追われていたりします。
父は遠方なのでまだ帰って来られないのですが、無事でいることが確認できていますし、生活に困ることはないので大丈夫。
岩手在住の義弟一家も無事が確認できました。住まいが沿岸部ではなかったので、自宅で一家揃って過ごすことができているようです。ただライフラインがダメで、停電が続いているそう。電話もPCも何も通じません。

毎日テレビの前から離れることができず、ひたすら同じ映像を見ていますが、そのたびに胸が苦しくなります。子供たちも繰り返し同じ映像のテレビに飽きているだろうと思うのですが、次女に「DVDでも見る?」と聞いてみたところ「飽きたけど、でもこういうのは見ておかないといけないんでしょ?」と。小学2年生なりに今日本におきていることを受け止めようとしているみたいです。

昨晩は節電のために、明るいうちにお風呂とご飯の支度を終え、PCも早々に落としてテレビだけにして過ごしました。薄暗い中でも家族全員(実家の母も我が家に避難中)で温かい食事を取ることができるのがこんなに幸せなことだとはと、しみじみと自分の生活を見つめ直しました。



さて。地震のとき私は何をしていたか。自分のためにも書いておこうと思います。
私は自宅でした。友人の家から帰宅し、コートを脱ぎPCを断ちあげたところ。そろそろ次女が学校から帰宅するな…それにしては遅いな?と思ったところで揺れ始め。最初はさほど大きな地震だと思わず、でもどんどん揺れが大きくなっていくので慌ててダイニングテーブルの下へ。テーブルの脚に本気でしがみついたのは初めてだと思う。飼ってたネコが焦って走り回り、自分でリビングの引き戸を開いて二階へ駆けあがって行くのを茫然と見つめてました。食器戸棚の中でガラスの割れる音が聞こえていて、何かが落ちる音も聞こえているけれども、何がどうなっているのかはよくわからないまま。
揺れが収まる前から頭の中は次女のことでいっぱい。たぶん下校途中の筈。長女は授業中だから、先生の指示があるだろうけど、道中の次女はどこでどうしているだろう?まだ校内だったらいいけど、道端でブロック塀の近くにでもいたら…何かが落ちて来ていたら?歩道橋の上にいたら?と、こういうときは悪いことしか考えないものですね。
揺れがおさまるやいなや、迎えに行こうと靴を履き玄関を出て。そこで初めてコートも着ておらず、携帯もお財布も持っていない自分に気づき、また家の中に戻ると言う…まったく褒められた行動ではない私です。
近所の様子を確認することもなく学校へまっしぐらに走っていくと、娘はお友達と二人で道端にいました。地震の瞬間は校門を出たところだったそうで、ふたりで塀ぎわにしゃがみ込んでいたそう。やっぱり!咄嗟に塀から離れることができない上に、おさまった後、家に帰ろうと古い歩道橋を渡ってました。しかも二人で「怖かったよ〜」とヘラヘラ笑っている!
日ごろからそういう躾の類は厳しくしていたつもりだけれども、ダメでした。腹も立っているのだけど、無事でいてくれただけで腰が抜けそう。一緒にいたお友達のママも運良く合流。見れば校庭にはぞくぞくと授業中だった高学年が避難中。次女の手を握って長女を迎えに学校へ戻る。そこで先生の指示を受けながら、長女を捜す。そんなときに二回目の大きな揺れ。校庭の真ん中でしゃがみ込むのが精いっぱい。すぐそこに長女がいるのに、そこまで歩いて行けないほど。
そんな中、先生方はとてもしっかりと誘導してくださいました。先生方がついて方面別下校を素早く指示し、兄弟がいる子を一緒にさせ…。全校生徒が700人以上いる学校なので、とんでもない作業だと思います。私と同じように慌てて迎えに来た保護者も大勢いました。
でも子供たちの中には、異常事態に悪ふざけをしている男子あり、パニック状態で泣きだす女子あり、それにつられて一緒に泣くお友達あり、家のお母さんを心配して震えている子あり。なんとかしてあげたいけれども、自分の子二人の手を握るので精いっぱい。知っている子を見掛けたら、お友達同士で早く帰るように声を掛けるのが限界。それぞれのお母さんの携帯番号などは知っていても、この時点で既にまったく使えない状態。周囲は消防車や救急車のサイレンが鳴り響いて騒然としているし。その割に地域の防災放送などは何も放送されないし。
実家の母に電話するもこちらも通じず、帰りに実家によって声をかけるも家におらず。駆け足で自宅へ戻ると、母は私の家に来ていました。そして何故だかキッチンで餅をまるめておりました。作ってる途中だったんだって。それで慌ててそれを持って我が家へきたんだって。で、続きの作業をしていたんだって。何やってるの!!!テレビもラジオもつけていないし!私の行動も褒められないけど、母の行動はハッキリ言って酷すぎる。人間てこんなもん?って思ったのはもっと後になってからなんだけど、なんだか情けない気持ちでいっぱい。

因みにこの時点で、地震が起きてから既に1時間半くらい経ってました。自分としてはまだ30分も経ってないと思ってたのに。とりあえず女子供4人が集まりテレビをつける。東北地方が酷いことになっていると知ったのはようやくこのとき。岩手に住む義弟一家を始め、誰とも連絡が取れなくて、本気で焦り始めたのはこの後。そして余震の続く中、各部屋を見て回ってびっくり。何かが落ちて割れたのかガラスの破片が飛び散っていたり、ピアノなどの大きな家具類が15センチくらい移動してたり、そして一番酷かったのが夫の書斎。


これを教訓に本の仕舞い方を少しは考えてもらおうと、あえて撮影しこのままにして夫の帰宅を待ちました。うちは本棚や食器棚はほとんど造り付けにしているので、それ自体が倒れるということはないけれども、その家具をどう使うかはやはり工夫が必要なのだなと思います。
ただ、この程度で済んだことには本当に感謝してます。


今は亡くなられた方のご冥福を祈り、被災された方々の生活が一日も早く楽なものになるように、努力しようと思います。素人の私に今できるのは、とりあえずはお金。信頼できる機関を通じて寄付すること。逆に信頼できないところには関わらないこと。それからデマのチェーンメール(←千葉なので昨日はいっぱい来ました)などを無視すること。正しい情報をきちんと得ること。節電を心がけること。人様に迷惑をかけないように余計な行動はとらないこと。家族の安全を自力で確保すること。体調管理をきちんとすること。
明日から平日。仕事も学校もある中で、自分がどうするべきなのかじっくり考えながら行動しなくちゃと肝に命じました。