新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

青い文学 桜の森の満開の下(後)

もう〜、感想書くのもかったるいというかですねえ。たかだか30分の番組(しかもCMやあらすじ、ミュージカル部分は早送り)なのに最後まで見るのが我慢大会とは。うむ、私我慢強くなったかも(笑)。
最早「年齢のせいでノリについていけない」という、自分で自分を納得させる言い訳は横に置いとくべし。
「都で牛に牛耳られる」とかいうギャグ(と認定するのもイラっとくる)とか、都の人が皆で携帯取り出すという現代社会を揶揄(と思うのも腹立たしい)とか、「巫女さんとかナースとか、男はコスプレ好きよね〜いやらしー」とか言う男性批判(じゃないな…きっと)とかが、何のためにあるのか…???是非そのあたりを製作者さんに聞いてみたいのでありました。いやもう、私が気づかないなんかすごい効果があるなら是非それを教えてほしいと思う。ライトなノリで笑わせて、話の本筋の重さとのギャップを醸し出そうというのなら(そもそもそんな必要があるのかどうかもギモンだけど)、笑わせてくれないとねえ。笑えない時点でそんなシーン必要だったのか?ということになるし。坂口安吾が気の毒に思えてきたわ…まじで。

というわけで、「噴飯ものだ」とハッキリ言ってやりたいくらいの怒りを抑えつつの観賞。基本的に見るからにはどっか褒めよう!と思ってどんな作品も結構褒めながら貶すんですけど、褒めドコロが見つからんですよ。

全部がツッコミドコロなので、あえてどこにもツッコミませんが、堺さんのセリフもここまでくると、どーでもいいというか…もしやこのギャグの類が面白く思えないのは、堺さんの所為なんじゃないかと勝手に責任を押しつけたくなるくらいで(笑)。いや、それも実はちょっとはあるかもしれません。

筋としては、都に馴染めない繁丸は女の求めるままに殺戮を繰り返し、うんざりして山に戻ると。山は嫌だと言っていた筈の女は、都よりオマエの方が大事…とか言ってついてくる。桜の森の満開の下で繁丸は女が鬼であることを悟る。狂乱状態で女(鬼)を絞め殺す。てなもんですが、こうやって筋書きにしてみるとなんとも陳腐。いや、原作は人間の心の奥にあるような迷いとか、寂しさとか、弱さとか、そういうもんを「鬼に惚れてしまった」もしくは「鬼に魅入られた」男の中に映し出して、一体何が現実で何が幻想なのか…というようなことを滲ませているんじゃないかと勝手に推測するんですが…。ナビゲーターの堺さんが言うところの「空襲で亡くなった人を上野の山の桜の下で焼いていた風景」というものを合わせて考えるから、そういう深いものがあるハズだ!という推測に到達できるわけで。このアニメのみでそこまで「わかれ」というのには無理があるんじゃないだろーか。
観ているうちに「こりゃ原作読まなくちゃアカンでしょう。こんなイメージのままだったら坂口安吾に申し訳がないもん」と思うようになってしまったりして。で、そう思った直後「もしそれが作り手の意図だったら悔しすぎる」と思って「絶対読まん」と思ったりして(笑)。ただの天邪鬼ですけどもねえ。

見どころは桜の下で叫ぶ堺さんの「狂乱状態の声」だけです。だけ。でもそんなもんは他でいくらでも堪能できるんですけどね。