新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

源平枝垂れ桃

あちらこちらで雪の話を聞き、本当に房総半島ってのは温暖すぎてぼけるなあ〜と思う今日この頃です。
生粋の千葉人父はよく言うんですよ。「昔から千葉の人間はだめだね。何しろ食うものに困らない。こういう土地の人間は危機感がないから努力や工夫をしなくなる」と。本当かどうかは知りませんが、確かに首都圏に位置しているわりになーんもしない千葉です。なーんもしなくてもソコソコやっていける土地柄のようです。歴史をちょっと紐解いてみるとキーポイントになりそうな出来事は点在しているのですが。

千葉の文化関係の出版に細く長く携わっているのですが、そちら方面の方はよく「千葉は文化度が低い」と言います。まあ確かにそうだとは思いますけども。でもその文化度の計り方もニュアンスモノなので、鵜呑みにするのもどうかな〜と思うし。なんと言うか、極論するなら会津のような「ならぬものはならぬものなのです」的厳しい感覚は皆無に等しい。ただじゃあそういう「のほほほ〜〜〜ん」としたムードがいけないことなのかと言えば私はそうは思わないんだけど。「文化人などがあまり排出されていない」なんてのは、別にそれでもかまわないじゃん?と思うんですが、違うのかな。野暮ったいとか垢抜けないとか言われますが、それが何故否定要素なのかも私にはよくわからん。今の千葉が嫌だと思うなら必死でやるしかない。でも所詮その「必死」な感覚を持たない土地柄なのならば、別にそれを恥じることなく「私たちは周囲に惑わされず、まったりのんびりのほほんとやっていきます」宣言ぐらい出してもいいんじゃん?なんて乱暴なことも考えてしまいます。

なんだかちょっと千葉は広すぎる気もします。「千葉」って言うと房総半島の先のほうを思い浮かべる方と、東京に近いベッドタウンを思い浮かべる方といて、住んでいるところのイメージを伝えるのにとっても苦労するのですよ。因みに我が家は後者の方。海も外海と内海両方あるし、料理などの文化もそっちとこっちじゃまったく違っていたりするので、一口に説明するのは難しい。

ま、そんなことはさておき。
世の中にはいろんな価値観があったほうが面白いし。もしかしたらいつの日か「垢抜けないのほほんスタイル」が世の注目を浴びて、皆から羨望の眼差しで見られる日もくるかもしれないじゃん?(え?ない?)

というわけでそんな「のほほん」の血を半分くらいは継いでいる私の家の庭の桃の蕾です。リクエストがあったのでアップしてみました。雪の「ゆ」の字もありません。次にちょっと暖かくなったら咲いてしまうんでしょうねえ。