新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

Dr.コトー10話

来週はもう最終回なんですね。彩佳と課長さんのやりとりに胸が苦しくなりつつも、不思議と涙は出ませんでした。
親の気持ちと子供の気持ち。この頃ちょっと両方わかるようになってきたかなあ〜と思うのです。元来私の性格は彩佳に近いものがあるような気がします。心配されたり、あれこれ言われたりするのを極度に嫌う傾向。彼女が今回お父さんに対して心情を吐露していましたが、それがあまりにもリアルに感じられてしまってね。心配を掛けたくないから言わないというのは実は真実ではなくて、心から心配してくれている人に触れると自分が弱くなってしまう。それが怖い。一度崩れ始めてしまったら立て直せない自分の気持ちがわかっているから、誰も踏み込まないでくれと思ってしまう。親は特に。我が家の場合母が異常に心配性なので、泣かせまいと思うと何も言えない。ただ不思議なのは、泣いて悩んで心配する割には結局力強く支えてくれるのは母なのですね。
一方で本当は誰かに側にいて欲しい気持ちもないわけじゃないというか、弱い分だけ内心それを求めている部分も。自分から「側にいてください」と言えない分だけジレンマで、そういうときにガサツに踏み込んできてくれる人というのはある種大切な存在で、コトー先生はガサツじゃないけどちゃんとラインを超えて来てくれて彩佳さんよかったね…と。ほっとしたというか。
個人的にはあんまり心配してくれない人というのも貴重な存在です(←うちの夫)。何を隠そう初めての子供を帝王切開で産むという日の朝、約束の時間になっても夫は病院へは来てくれなかったんですよ(理由:寝坊)。出産だから、めでたい話なのでいいんだけど、一応異常があるから帝王切開になっているわけでして、それなりにドキドキしながらこっちは入院していたんですけども。全身麻酔だし、内心「これで手術中に何かあったら、もう会えない。最後に見た顔はいつだったかな?」って考えたら思い出せなくてねえ(笑)。入院直前も仕事で会ってないから、2日くらい前の朝かな?とか、いや寝顔かな?とか思ったりして。時間になっても来ないとは言ってもそれを待っていられるはずはなく、さあもう手術室へ移動しましょうという直前にほぼすれ違いで彼は到着したのでした。だというのにも関わらず「あ、来たの?」みたいな口しかきけなかった私も私で。無事めでたい出産と相成ったのですべてはちゃらですが、私自身ちょっと反省しましたね、あのときは。素直に「来てくれて嬉しい。ありがとう」と言わなかったこと。全身麻酔から目覚めたとき、最初に気になったのは子供が無事だったかどうか?でしたが、次に思ったのはもう一度夫に会えてよかった…でしたね。いやほんとたまには素直にならないと。でも甘えはじめたらキリがなくなってしまいそうで、日常では怖くてできないんだけど(笑)。
話がずれました。
今日一番心にずしりときたのは課長さんのセリフ。島に戻ってコトー先生に告白するところ。「例え動けなくなっても命だけは助かって欲しい(←うろ覚え)」という部分。これは親としては誰でも思うんじゃないでしょうかね。無条件にそれは思うんじゃないかと思います。この立場からすれば何よりの親孝行は「生きること」じゃないかと思います。親の立場からすれば、子供が生きてくれているだけでも有難いと思わなくちゃ。ただ人は欲張りですね。健康に生きてくれていると、それが当たり前になってしまって、ついついプラスアルファを求めてしまう…。子供が病気するたびに(風邪とかですけどね)、欲張りになっている自分を神様が戒めているのではないかと思う今日この頃です。

そして本題の鳴海先生!(前置きが長いな〜)
今回は彩佳とのやりとり、課長さんとのやりとり、最後コトー先生との対峙。盛りだくさん過ぎて興奮気味。いやもうこれだって大した出番じゃないんですが、出番ゼロとかも当たり前だと「うわ、電話じゃない〜」とか、その程度で興奮しちゃうんです。ファンの悲しい性(笑)。特に課長さんとの会話は「てめーその言い方は!」と言いたくなるビジネス口調が胸に痛い。島の人たちが素朴な分だけ、鳴海先生との直接の会話が辛いですね。そして何より最後、彩佳を挟んでの対峙は興奮MAX。ら、ら、ライバルなのですね、二人は(←今更ですが)。鳴海先生の目が「てめー!一体何しに東京までのこのこ来やがった!俺の腕が信用できないとでも言うのか、こらっ」って言ってたもん。それをバチっと受け止めて一歩も引かないコトー先生。ら、ら、来週が待ちきれません!なんですかあの予告っ!
あ〜来週も感想長くなりそうだなあ〜。