新 お気楽日記

日常を徒然なるままに。

Dr.コトー7話

いやー昨夜古い友人と飲んでたんですが。もちろん私は茶を。「堺雅人って嫉妬の香りに出てた人だよね。あの人あれ見てすごく嫌だった」って言われちゃいました(笑)。「目が笑ってないのが気持ち悪い」とか…。いやもうその通りで、そこに惹かれる女もいるってことでね(笑)。

でもってコトー。堺さん出番なし…「なしはないだろー!ワンカットくらい、ヒトコトくらい」…と思わせないのがこのドラマですよねえ。ドラマそのものの出来が良いとお気に入りの人の出番の多少などどうでもよくなるものです(笑)。
その分予告で流れたほんの短いセリフ(映像なし)がかえってずっしり来ました。病と真剣に向き合っているからこその暖かさ(コトー先生)もあり、シビアに向き合っているからこその冷静さ(鳴海先生)がありという感じかなあ。結局どちらも同じところへ向かっている気がします。ただそこにたどり着くための道のりがちょっと違うだけで。どちらが正解とも言えないような。
次回コトー先生にも試練のときがやってきそうですね。もしかしたら鳴海先生はすでにそうした段階を乗り越えて今があるのかもしれません。だからこそのあの予告の言葉…って、予告だけでこんなに語る必要もないんですけどもね。


リアルタイムで見られなかったので、翌日の昼間に見ましたが。お察しの方もいらっしゃるかもしれませんが、泣き虫の私は涙ナシでは見られませんでした。というより、号泣ですねえ。
親子の思いというのは本当に難しい。原親子も然り、課長さん親子も然り、そして今回のゆかりさん親子も然り。互いに自分のことより相手の気持ちを先に考えてしまうのが親子というもので…本当はもっと甘えられたり素直になれたらどれだけ楽かというのが、どうしてもできないのが親子であり。
でもねえ、ちょっとだけ思うんですよ。
親は何があっても子どもを受け入れてあげられるモノ。仮に子どもが世間から後ろ指指されるようなことをしても、それでも受け止められるのが親だと思うんです。無論それが間違った方向に行ってしまって、単なる盲目的な溺愛になることは恐ろしいことですが。でもやっぱり何があっても「大丈夫だよ!何があっても私がついているから」と自分の命を投げ出してでも子どもを支え見守りたいのが親なんじゃないかと。
彩佳が両親に自分の病のことを言えない気持ち、心配かけまいと思う気持ちはすごくわかるんですよ。自分もそうするタイプだから。でも親の立場となれば、子どもがそうやって抱え込んでしまったことはそれ自体が親の責任に思えるんですよね。


話逸れますけれど、イジメだなんだということが話題になるにつけそれを思います。誰が悪いとか良いとかじゃなく、イジメられる側も、イジメる側も、どこか心が上手くいかないとき、辛いとき、「辛い」と親になら吐露しても良いんじゃないかと。それをするためにいるんじゃないかなあ、親って。何があっても親だけは「あなたの味方。あなたの支え。あなたのためにいる」そういう存在なのだから。よく世界中を敵に回しても…なんて言いますけど、本当に自分の命と引き換えられるならと思えるのが親というものだもの。キレイごとかもしれないですけどね、でもなんとなくそう思います。


相当話が脱線してますね。なんだかもう胸が苦しくなってしまってねえ。こんなに泣かなくてもって自分で思うぐらい泣いてしまった〜。お陰で幼稚園のお迎えに行くのに涙顔になってしまって(笑)。いやあまいったまいった。
少なくとも来週はヒトコトは出番があるらしいので、それを楽しみにしたいと思います。それにしても堺さん。このキャスティングって「声」で決まったんじゃないでしょうかね?